□よみきり短編□
□魅惑〜特別な客
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■特別な客■
何枚も重ねた皿を腕に持ち、背筋をピンと伸ばして、テーブルの間を泳ぐように歩くギャルソンを目で追いながら、私はやる瀬ない気持ちになる。
この店には彼を目当てにたくさんの客がやってくる。
みんな自分のテーブルに彼を呼びたくて、追加の注文をしたり、料理の説明を求めたり、中にはわざとナイフを落として、拾わせる客までいるのだ。
今だって、常連らしいマダムが彼にワイングラスを差し出して、テイスティングをしつこく促していた。
彼は困ったような笑顔でそれをやんわりと断っている。マダムは別に味に不満があるわけじゃなく、ただ一時、彼を独占したいだけなのだ。それはマダムの媚びた笑みを見ればわかる。
「やだな、ああいうの」
私だってもっと彼と話したいけど、お仕事の邪魔はしたくない。結局、最初の注文の時にしか言葉を交わすことはなかった。
寂しいけど、それでいい。
引っ込み思案な私には、彼に話しかける勇気なんてないのだ。店の中を忙しく歩き回る彼を、こうして見ていることしかできない。
私はナプキンをテーブルに置くと席を立つ。レジには別の青年ギャルソンがいた。
「少々お待ちください」
支払いを済ませると、青年は私が預けていたコートを取りにカウンターの奥のクロークへと消えた。
私はぼんやりと窓の外に目をやる。乾いた風が木の葉を舞い上げた。外は寒そうだ。
「お待たせいたしました、お客様」
背後からかけられた声に、私は驚いて肩をこわばらす。それはレジの青年ではなく、彼だったのだ!
「どうぞ、お袖を」
私の背中でコートを広げる彼。私がおずおずと腕を通すと、すっと肩まで引き上げて着せてくれる。
そのまま背に寄り添うように立ち、私の肩に軽く手を置いた。
「お帰りの時に間に合ってよかった。お食事中はあまりお話できませんでしたから」
カアッと顔が赤くなるのがわかった。彼はあのたくさんの客の中で、私のことを気に留めてくれていたのだ。さらに彼はこう続けた。
「私がマダムに捕まっていると、いつも心配そうに見ていてくださいますね」
「そ、それは」
「私もあなたを見ていたのですよ。気付きませんでしたか?」
そう言って、彼は背後から腕を伸ばすと私の身体をギュッと抱き寄せた。耳元に唇を寄せ、なめらかな低い声で囁く。
「……今夜、閉店後にまたいらっしゃい。あなたのためにワインを用意しておきましょう」
私は夢心地でそれを聞いていた。嘘みたいだ。憧れの彼と二人で乾杯して、誰にも邪魔されずにおしゃべりして…それから……
「それから後は、あなたのお望みのままに…」
=end=