宝物
□水泡の姫君
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帰りたくなったの
(そんなの嘘よ)
私は充分幸せだから
(本当にそう?)
貴方も海に還るのかしら?
(約束してね)
また逢いましょう
(さようなら)
水泡の姫君
(貴方の隣は私が良かった…)
珍しくケロロが本を読んでいた。
「隊長殿?」
「ん…」
どうやら内容に没頭しているらしく、声を掛けてみても生返事しか返ってこなかった。
邪魔しないように静かに腰を下ろす。
読んでいる本は絵本のようで、今読んでいるページには幸せそうに微笑む王子と姫が描かれていた。
彼等を祝福するように輝く青い空と海が見えた。
「「そして二人は幸せに暮らしましたとさ」、か…」
不意に単調な声で絵本の最後の文章を朗読するケロロ。
お伽話の中に真実を探そうとしている子供のように真剣な顔をしていた。
パタン、と音を起てて本を閉じると表紙に絢爛な文字で【人魚姫】と書かれていたのが見えた。
「納得いかないであります!」
物語の展開に不満だったらしくケロロは拗ねたように眉を顰めた。
地球に伝わる幼児向けの本を真剣に読み耽っているケロロが可笑しくて、ドロロは苦笑した。
「どんな話だったんでござるか?」
「あれ?ドロロ居たの?」
「ひ、酷い!さっきから隣に座ってたじゃない!?」
涼しい顔で酷いことを言う。
半泣きになっている幼馴染みに悪戯っぽい笑みを送りながら、ケロロは歌うように話の内容を要約した物をドロロに聞かせた。
「人魚ってゆー、下半身が魚で上半身が人間になってるペコポンの動物が人間の王子様に恋をするって話でありますよ」
絵本の見開きには黄金の髪に深海の青の瞳を持つ人魚の少女が岩陰から切なげに異国の王子を見つめる姿が描かれていた。
ドロロは黙って聞いていた。
「人魚姫は魔女と取引をして、自分の声と引き換えに人間になるんでありますけど、王子様は他の国のお姫様と結婚しちゃうんだって」
嫌な気持ちが心中に広がる。
曇天に覆われた海を連想した。
晴天に響く、人魚の歌はもう聴こえない。
「王子様と結ばれないと人魚姫は泡になって消えちゃうんだけど、王子様を殺せば人魚の姿に戻れるのであります」
自分を愛してくれた姉達が涙ながらに彼女を説得してくれた。
白亜のテラスから愛おしげに海を見つめる人魚姫。
月光を反射して煌めく青も、魚達の歌も、眠れる深海の静寂も、今では全て懐かしかった。
―――殺しなさい
―――貴女のためなのよ
―――帰りましょう、海へ…
海へ―――
ざわめく波の音。
テラスから見下ろす金の髪に海の瞳を持つ深海の姫君は豪奢なドレスを身に纏い、白い頬を薄く赤らめながら微笑んだ。
そして差し出されたナイフを海へと返す。
それは海への決別のように。
「人魚姫は王子様を殺さなかった。そして婚礼の鐘が鳴ったとき、その体は泡になって消えてしまった…」
海へと還った人魚姫。
花嫁も花婿も幸せそうに笑っている。
人魚姫はそれでも幸福だったのだろうか。
「悲しい、話だね…」
言い終えたケロロにポツリと呟く。
最後の見開きに描かれた空と海が何処か切なく見えてしまう。
ケロロはまたパタン、と本を閉じた。
「やっぱり納得いかないであります」
答えを探す漆黒の瞳は真っ直ぐにドロロを見つめた。
「なんで人魚姫は王子様に何も伝えなかったんでありますか?声が出なくても、手紙とか…」
歯痒い気持ちに苛ついているのか語気が荒かった。
駄々をこねる子供のようだと思った。
「文字、書けなかったんじゃない?」
「だったら、でも、…こんなのって…、切ないジャンか!」
言いたいことも分からなくなって、ドロロの肩に撓垂れるようにして寄り掛かった。
穏やかにドロロは苦笑する。
想いを伝えなかった人魚姫の気持ちが理解できないケロロに対して、ドロロには何となく分かるような気がした。
「素直な気持ちを伝えるのって、怖いことだよね」
「え?」
小さく微笑みながらドロロが保父のような顔で言い聞かせた。
「それを否定されたら、拒絶されたら、悲しいでしょ?」
「うん…」
キュッ、と胸が苦しくなるような想いがした。
人魚姫は仲睦まじく笑う二人を見て、どう想ったことだろう。
その幸福を私欲のために汚すことが自らを殺すことと、彼女は知っていたのだろうか。
唯身を焦がすだけの「愛」では無く、彼女が知ったこと、それは―――
―――狂おしい程優しい「恋」
「恋することを、知っていたんじゃないかな?」
だから海へと―――泡となって消える時も、彼女は笑っていたはずだ。
―――貴方が幸福なら、私も幸福よ
――――、と。
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