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□風丸からプロポーズされる
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「ありがとうございましたー!」

店員さんの可愛らしい声が、私を送り出す。外の空気に身を縮めながら、私は空を見上げた。体感温度に似合わない快晴。そろそろマフラーもいらなくなるかな。そんな事を思いながら、私は今買ったものに目を向けた。青色のお洒落な包装。「包装は男性用ですか、女性用ですか」。その問いに、「男性用で」と答えることにもやっと慣れた。今日は、彼との記念日。付き合ってもう何年経つのかな。ふと気になって、指を右手から順に折ってみる。すると、左手の中指が折れた所で止まった。

「もうそんなになるのか…」

中学の卒業式から付き合い始めて、大学2年から同居して。去年からそれぞれの仕事を始めて…もう出会って10年近く経っているんだ。時の流れは、本当に早い。彼が陸上部からサッカー部に来たあの日が、この間の様に思えるのに。あれからずっと、私は彼の傍に居たんだ。ちょっぴりそんな優越感を感じた。

ふと意識を戻せば、本屋が目に入った。携帯で時刻を確認する。彼が帰ってくるまでは、まだ余裕がある様だ。夕飯の買い物も済ませてあるし(今日は一緒に夕飯を作ろうということになっている)、ちょっと寄って行こうかな。そう決めた私は、プレゼントを鞄に入れ、店内に足を進めた。所狭しと並んでいる女性向け雑誌を、なんとなく眺めていく。すると、ある雑誌の文字が私の目を引き付けた。

「結婚、かぁ…」

もうそろそろ、それを考えてもいいのかもしれない。友人の中にも、既に結婚している子が何人かいる。あのサッカー馬鹿な円堂くんでさえ、去年夏未ちゃんと結婚したばかりだ。

「だからって、焦ってするものでもないしね…」

それに、彼はまだプロ入りして間もない。これからどんどん活躍していくことになる。今でさえ、「中々お前との時間が作れなくてごめんな」なんて謝ってくる彼だ。結婚なんてしたらきっと―

「(駄目だ、帰ろ。)」

これ以上その文字を見ていたくなくて。私は逃げる様にその場を後にする。外の冷たさが、先程より少し増していた気がした。

暫く電車に揺られ、駅から少し歩けば、私と彼が住んでいるマンションが見えてきた。夕飯の材料が入った袋を持ち直す。少し買い過ぎたかもしれない。もう一度携帯を見れば、彼の帰宅時間まであと少し。きっと、私が部屋で一息ついた頃に帰って来るだろう。そう思っていたのに。マンションの入り口で一人佇んでいる水色に、思わず目を見開いた。

「あれ、一郎太?」
「…え!?」

私が声を掛けると、ビクリと肩を揺らした彼。此方に顔を向ける時、ポケットに何かを入れたのは気のせいかな。にしても、こんなに驚くなんて珍しい。そう思いながら、私は彼に近付いて続ける。

「予定より早かったね、びっくりしちゃった。」
「俺も驚いた、もう帰ってるかと…」
「ごめんね、ちょっと寄り道してたの。とにかく、中入ろ?」
「そう、だな…あ、重いだろ、持つよ。」

荷物に気付いたらしい彼は、私の手からそれを奪う。その時少し触れた手に、内心どきり。けれど、それがバレないように「ありがとう」と笑った。

「(こういうの、新婚さんみたいだな。)」

部屋への道を歩いていると、ふと浮かんできた言葉。私は急いでそれを振り払う。なんでこんなこと。きっと、さっきの雑誌のせいだ。考えないようにすればする程、余計に意識してしまう。こんなこと考えてるなんて、一郎太に悟られたら。そう不安に思い、チラリと一郎太を見上げた。するとそこには、私の予想に反する光景が。

「(なんか、そわそわしてる…?)」

普段は凛々しい彼が、何だか落ち着かないとばかりに目線を泳がせていた。それに、表情も堅い。今日の練習で、何かあったのかな。尋ねていいものかも分からないので、取り敢えず様子を見ることにした。

部屋に着いて一休みした後、私達は約束通り夕飯の準備に取り掛かった。私は材料を切り、一郎太はそれを炒めたり煮込んだり。中学時代から私より料理が上手かった彼は、やはり手際が良い。しかし、その表情は相変わらず何だか落ち着いていない。遂に心配になって「大丈夫?」と声を掛けてみたけれど、「大丈夫だ」と苦笑いを浮かべるだけだった。
そんな彼を心配に思う一方で、私の思考を徐々に「結婚」の文字が占領しつつあった。もし結婚したら、私達はどうなるのだろう。もしかすると、今とあまり変わらないのかもしれない。しかし、優しい彼のことだ。結婚すれば今まで以上に、私との時間を作ろうとするに違いない。それは、せっかくプロ入りを果たした彼を邪魔する事になる。私は、彼が楽しそうにサッカーをしている姿が大好きだから。彼から、サッカーは奪いたくない。彼の重荷には、まだ―

「いたっ!」
「っ、名前!?大丈夫か!?」
「ご、ごめん、ぼーっとしてて…ちょっと指切っちゃったみたい…大丈夫だから。」
「何言ってんだ、ほらこっち来い!」

私の指先から滴る血を見て、一郎太は声を張り上げた。急いで火を消し、指を切っていない右手を引っ張られる。そうして連れて来られたのはリビング。私をソファーに座らせた一郎太は、「ちょっと待ってろ」と言って姿を消した。救急箱を探しに行ったのだろう。

あまりの情けなさに、思わず溜め息が零れる。本当に、何をやってるんだろう。余計な迷惑掛けて。これじゃあ今でも十分重荷じゃないか。

「(今日、なんか駄目だ。)」

せっかくの、記念日なのに。

それから5分も経たないうちに、一郎太は戻ってきた。「ほら、手出せ」と言われ、私は左手を差し出す。彼の手当ては、やはり料理同様手際が良い。痛みもあまり感じない、けど。私の胸は情けなさや申し訳なさで酷く傷んだ。それを軽くしようとしているのか、私の口からは自然とごめんねが零れる。それでも一郎太は、「気にするな」と優しく微笑んでくれた。

「ほら、出来たぞ。」
「うん、ありがとう。」

指先を見ると、綺麗に絆創膏が巻かれていた。きっと、自分ではこうはいかないだろうな。私は辛うじて、笑みを浮かべながらお礼を言う。そして、ソファーからキッチンに戻ろうとした。けれど。

「…一郎太?」

もう手当ては終わったはずなのに、一郎太は一向に手を離そうとしない。表情もまた、さっきのものに戻っている。私は訳が分からなくて、ただ黙って彼を見つめる。沈黙。その妙な空気は、私を不安にさせるには十分だった。

「ね、ねぇ…いち、」
「あの、さ」

耐えられなくなってもう一度声を掛けると、一郎太も口を開いた。心なしか、私の左手を握っているそれが震えている。心配になって顔を覗き込めば、二つの茶と目が合う。緊張の中に微かにちらつく決意。目が逸らせない。そのまま吸い込まれてしまうんじゃないか。そんな錯覚の向こう側で、左手にピリリと不思議な痺れを感じた。

「もうそろそろ、区切りを付けてもいいと思うんだ。」
「え…それってどういう…」
「あーつまりだな…その、籍をさ、入れないかって話。」

今、何て。
籍を、入れる?
私と一郎太が?
それって、

「う、うそ」
「俺が嘘でこんなこと言える奴じゃないって、お前が一番分かってるだろ?」
「じゃ、じゃあ…ほんとに、」
「本当は夕食の時にでも言おうかと思ったんだが…なんだかもう、無理みたいだ。」

そう苦笑いを浮かべる一郎太が、ぐにゃりと歪む。彼の慌てた声から、自分が泣いている事が分かった。「もしかして嫌だったか?」とわたわたする彼の誤解を解くために、私は急いで首を左右に振った。そして自分も結婚を考えていたこと、けど結婚したら自分が重荷になって一郎太からサッカーを奪ってしまうのではないかと不安だったこと。全部全部、涙と一緒に吐き出した。嗚咽で途切れ途切れだったけれど、一郎太は相槌を打ちながら最後まで聞いてくれた。そうして全て話し終えた後、一郎太はゆっくり私の目元に指を当て、涙を拭いながら話し出す。

「お前も、同じように思ってくれてたんだな。」
「…うん。」
「俺、プロ入りしたばかりだから、これからまた寂しい思いをさせるかもしれない。…だけど、絶対に幸せにする。サッカーもだけど、何よりお前がいなきゃ駄目なんだ。だから、自分を重荷だなんて思うな。俺を信じて付いてきて欲しい。」
「うん…っ」
「ははっ…色々考えたんだけど、やっぱり在り来たりになっちゃったな。…名前、俺と、結婚して下さい。」
「はい、喜んで…!」

一郎太が、右手のポケットから小さな箱を取り出す。その中には、シンプルなデザインの指輪が一つ。彼はそれを手に取って。そっと、掴んだままだった私の左手の薬指に。それはまるで、私の為だけに作られたかの様にピッタリで。シンプルなのに、なんだか高価な宝石よりきらきら眩しく見える。それは、また零れ始めた涙のせいなのかな。そう思いながら目を閉じれば、口元に描いた弧が少し濡れた気がした。



Do I hear the wedding bells ringing?



「あーあ、それなら私ももっといいプレゼント買えば良かったなぁ。」
「何か買ってくれたのか?」
「うん…はい、開けてみて。」
「…ネックレス?」
「それなら、サッカーしてても邪魔にならないかと思ったんだけど…ショボくてごめんね。」
「いや、凄く嬉しいよ。大切にする。」
「…うん、ありがとう。」

私も、大切にするね。
今日のこの日を。思い出を。
繋がっていく、未来を。






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二周年記念に!

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