青き春
□死
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「斎藤、さん」
市村の声は震えた。
眼光鋭いその瞳は、今に市村を斬ってもおかしくないほど恐ろしかった。
市村の怯えた目を見つめながら、斎藤は少し胸が痛んだ。
今まで、ほとんど全くと言っていいほど感じたことのない痛みだ。
どうやら少なからず、自分にも局長の死というものは影響しているようだった。
多くが自分の側で命を落としていったし、寧ろ近藤さんには(俺にしては)複雑な目を向けたこともあったというのに。
…しかし、土方の小姓だとしてもこの場にいるには幼すぎる。
人を斬ったことも、もしや斬殺の死体すら見たことはないかもしれん。
隣で体を固める姿を見ると、疲れが溜まる気がした。
昔とは大違いだ。。
女も子供も関係ねェ。
人が斬れればそれでよかった。
ただ、近藤を失くした土方を見たとき、苛ついた。
何となく、土方の気持ちを察してしまった。
それに腹が立った。
暗闇の中、市村の細い肩を掴み、斎藤は一瞬泣きそうな顔をした。
斎藤の、そんならしくない表情を市村はわずかな時間に二度見ることとなった。
この人には死んでほしくない。
直感的にそう思った。
小さな体を抱き寄せ、斎藤はゆっくりと腕を回した。
今までずっと大事にしてきたものは、自分の命以外に何も知らない。
こいつほどの齢に、俺は何を志していただろう。
世の中はこんなにも荒れてはいなかった。
それだけが確かだ。
肩を掴む大きな手に触れる。
土方さんが、この人に隊長を任せた理由が、今はっきりと理解できた。
この人について行こうと思った。
あの日、永倉さんの声を振り切った斎藤さんは確かに悩んだんだろう。
土方さんの冷説と、原田さんの意志と、永倉さんの決意と、近藤局長の言葉。
いろんな感情や個々の思想が入り交じったあの部屋で、斎藤さんは区切りをつけたんだ。
数少ない信頼を預ける永倉さんの言葉も切って、斎藤さんは新選組に残ってくれたのだ。
それが、土方さんには思いがけなかっただろうし、その分嬉しかっただろう。
形こそ、斎藤に抱きしめられていたが、市村はそれを自分に縋っているようだと感じた。
この人だって、人の子なのだ。
「俺は、死なない」
その言葉は、暗い廊下にぽつりと響いた。
一つの宣誓のようなその言葉を、市村は一度頷いて聞き入れた。
自らの命の他に大切なものなど知らない。
だが、これからそういったものを手にしたとき、俺はどうなってしまうのだろう。
想像も出来ないことを奥歯に噛みしめた。
「死なないでください」
背中に回った手が、ぎゅっと服を掴む。
このとき一瞬、市村の暖かさが胸を突いた。
「明日の朝は早い。お前は土方に付いていろ。大した用ではない。来なくてもいい」
体を離した斎藤はそう捲くし立てた。
市村は出来るだけ隊務に付いて経験を積んでおきたかったが、釘を刺された。
次いで土方の件も市村を閉口させる。
「危険な隊務になりますか」
「今の俺たちは外に出るだけで命を狙われんだ。その考え方は甘い」
言った後に市村が俯くのが分かった。
こいつは少し、綺麗すぎる。
「もう寝ろ。土方のことはまだ放っておけ」
頭に手を置こうとして、躊躇った。
出た左手を引いて、右手を置いた。
こいつに触れるには、どうも利き手は汚れすぎていると思ったのだ。
「斎藤さん…っ」
一度感じただけの、決して高くはない斎藤の温度を求めて抱きついた。
行ってほしくなかった。
僅かでもこの人の弱さに触れてしまった。
自分では気づいていないのかもしれない。
だけどそれは、誰もが持つ恐怖であった。
「死なないでください。ちゃんと、戻ってきてください」
斎藤は困惑した。
そして気づく。
市村の髪を撫で、顎を捉える。
今まで幾度となく妓を抱いてきたが、こんなに慎重に唇を重ねたのは初めてだった。
「俺は死なない。心配はいらん」
もう一度だけ口付けた。
血にまみれた手で触れるのを許してほしい。
腕の中で、市村は涙した。
この荒んだ、先の見えない時に、一人を思うのは間違っている。
それは分かっていた。
だけどもう抑えきれない。
少しの間にもう、我慢できないほど、今、入れ込んだ。
生きていてほしい。
心から願う。
この温度が、強さが、
いつまでも在ってくれればいいと思った。
体を離し、斎藤は何も言わずに背を向けた。
涙が止まらずにその姿もぼんやりとしか捉えられず、追いかけていきたいというのにやはりもう、それで終わりと告げられたようで足は動かなかった。