堕落小説

□哀れみの人々
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あら、哀れんで下さらないの? 

女が言う。 


何を哀れめって言うんだ。 


男は、思う。 


女は、着くずした着物から乳房を覗かせながら、酒臭くしみったれた臭いを漂わせ、男の肩にしがみ付いてきた。 
反射的に振り払いたくなったが、男は女に手を出す類いの人種でもなかった。 
いい加減な飲み屋の店主は、助けてもくれない。

すっと身体を引くだけに留める。 
だが、女は、しつこかった。 

女は、自分の夫でもないのに、男の事を“あんた”と何度も呼び泣き付いてくるのである。 

男は、困った。 

女を見て哀れむと言うより、ただただ困ったのである。そして嫌悪感を抱いた。 
この男は、こういう女が酷く嫌いであった。出来れば、相手をしたくなかった。 

それで男が何も言わなくなると、女は「貴方、優しい人ね。」て夢心地に微笑んだ。 
とんだ思い違いである。男は、困ったから黙り込んだだけであって、決して世に言う優しさなんてものじゃなかったのだ。しかし、それを知らない女は、よく喋った。いらない事まで、しゃべるので、男の耳にも嫌でも、それが流れ込んでくる。 

女は、火事で夫と息子を、なくしたそうだ。 
優しい夫と息子だったと女は笑う。 
笑う顔は、よく見えなかったが声だけが笑っていた。 

ふふ、なんて笑って女は男に尋ねた。 

「あんたの話しも聞きたいわ。」
男は、それに、つまらない事だから話したくないと断った。だが、矢張り、女はしつこかった。 

男は、仕方なく一言だけ呟いた。 
「息子が、一人おります。」

「あら、奥さんは?」

女が酷く明るい声で尋ねた。男は、また仕方なく一言だけ答える。 
「死にました。」

「それは、残念ね。どんな人だったのかしら?」

聞きたいわ、と女が言う。男は、とうとう不機嫌になって答えた。 
「人様に話せる程、素行の良い妻ではございませんでした。」

「まぁ、酷いわ。奥様が聞いたら泣くでしょうよ。」

わざとらしい口ぶりで言う女を、男は、ついに殴ってしまいたいと思ったが何とか耐えた。 

この女は、男の妻によく似ている。男は、そう思った。否、初めから、そう思っていた。
酒に身を浸し、それによる軽口や男に対しての執着心と束縛。男は、それが嫌でたまらなかった。




ひくっ、ひっく。 





女が、急に声をあげて泣き出した。
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