コンクリートの上に薄く敷かれた綿のような雪はまだ白にも成りきれてない。
靴を一歩踏みだすと、しゃりっと足元が鳴った。コートの隙間から入る風がやけに冷たくて、思わずポケットにぎゅうぎゅうと両手を突っ込んでしまう。
【季節外れの雪】
「寒いケド思ったほどじゃないネ」
「えー、めちゃめちゃ寒いよ」
困ったみたいに笑った彼は顔の半分をマフラーにうめていた。きっと寒いのが嫌できっちり防寒してるに違いない。
去年の冬も東京には雪が積もった。
2人で家の前を雪かきすることになり、ブーブー文句を言ってたんだけどやってみたら意外と楽しくて、新八っつぁんもよく笑ってたなぁと思い出す。
マンションの管理人さんに持たされたスコップで、入り口付近にある雪をひたすらよけた。
よけた雪はいくつかの山となり、なんとなくそれがかまくらのように見えたので穴を掘ってみたりした。
終始寒そうにしていた新八っつぁんがクスっと笑ったことに調子ずいて、雪兎や雪だるまも次々作った。いつの間にか近所の子どもたちまで巻き込んで、それはそれは大騒ぎになったんだよなぁ。
「お兄ちゃんここに入れる?」と言ったのは一番小さな男の子で、どうやら新八っつぁんをかまくらに案内しているらしかった。でもそれは小さすぎて新八っつぁんの身体どころか両手首までしか入らず思わず吹き出してしまったんだっけ。(いくらなんでも無理がある)
それでも新八っつぁんは大真面目にかまくらに手を入れて「おー、雪にくるまれるとあったかいんだネ」って笑ってくれた。
この人を好きだと思う理由なんていくつもあるのだけれど、どれも言葉にすると足りなくて、彼の笑顔にはどれにも敵わない気がした。去年の寒い冬のこと。
「去年のかまくら面白かったね」
「あーそんなこともあったなぁ」
「…あの、さ。新八っつぁん」
「んー?」
「ごめんね」
「なにが」
「この前のこと」
「蒸し返すのか、それ」
「もう好きじゃないから別れよう」なんて。信じられないような言葉を言ったのは紛れもなく自分だった。
あの時の彼の顔を俺は何があっても一生忘れないと思う。
「もういいヨその話」
「でも」
「なに、平助は本当に別れたいの?」
「そうじゃなくて!」
思わずポケットから飛び出た手は、冷たいというよりぴりぴりしていた。それでも身体中の血液はざわざわと巡っていて脈がはやくなっていくのが分かる。
鼻の奥はつんとして。色んな感覚が薄くなる。浅く繰り返す息が白い。
喧嘩はささいなことで、口では絶対に勝てない彼を1度でいいから言い負かしてみたいだけだった。やきもちを焼いて欲しくて、女の子と飲みに行って、それでも何だかほっておかれてる気がして挙げ句の果てに逆ギレをしたんだ。
「好きじゃない」なんて「別れたい」なんて、これっぽっちも思ってないのに。
それがあんな風に彼を傷つけることになるなんてあの時は想像する余裕もなかったんだ。
すぐに「嘘だよ」って弁明したし彼も「わかってるヨ」と笑ってくれたのに。
見てしまったんだ。その日の夜、新八っつぁんが泣いているところを。
ベランダに出て、一人で煙草を吸いながら何度もまぶたをこすっている彼の背中を。
次の日に「少し距離を置こうか」と言ったのは新八っつぁんで。慌てて「俺のせい?」って聞いたら「違うヨ、俺の都合」って笑われて。
あのことが発端に違いないのに俺はどうすることもできなかった。
自分が言ってしまったことだから、責めることも縋ることもできない。
これは罰だ。彼を傷つけてしまった罰なんだ。
あれから一ヶ月。
「実家も時々ならいいもんだヨ。親父がぎっくり腰やってて丁度よかったし」なんて本当かどうかも分からないけれど。新八っつぁんは今実家に帰ってる。
でもこの頭の中は仲直りするキッカケ探しでいっぱいで。結局たまらなくなってつい、こうやって会いに来てしまう。許して欲しい。許して欲しいって。
「俺こわいんだヨ」
「こわい?」
一瞬、頭の中まで凍ってしまったみたいにキンとした。息苦しい。肺の中に雪の結晶ができてしまったらどうしよう。
「俺はお前に捨てられんのがこわいの。ずーっと前から。」
知らなかったろ?って自嘲気味に笑う。
薄い雪の中。白でもない黒でもないアスファルトの道の上。
(俺はお前が思ってるよりも平助のことちゃんと好きなんだヨ)
あれも去年の冬だ。「俺のこと好き?」って聞いたらそうやって真面目に答えてくれたんだっけ。
新八っつぁんは普段言葉にしないけど、本当は分かってた。いや、分かってるつもりになってたのかもしれない。いつまでたっても雪遊びを止めない俺を待っててくれたあの時の気持ち。
「俺は女じゃないけどお前に抱かれるし、けど、子どもは産めないから」
「それ、は」
「平助子ども好きでショ」
わしづかみにされた心臓が一気に凍りつく。
(「お兄ちゃん雪だるまもっと作ってよ!」)
子どもたちの声が耳の中でこだまする。
「好き、だけど、子どもは要らないし、」
「俺は平助に幸せになって欲しいんだ」
「そんなっ」
「まぁ、俺から別れるつもりなんてさらさらないんだけど、もしお前から別れたいって言われたら俺は絶対にそれを受け入れようって決めてたの。だから、」
だからあの時、泣いてたの?
「自分が幸せかどうかは自分で決めるよ!」
「そうだけど、」
「俺は新八っつぁんが隣にいなきゃダメだしそれだけでただ幸せなんだ。子どもなんて要らない。でも新八っつぁんが欲しいならその時に一緒に考えようよ!…だから、だからっ」
だから、そうやって先に行かないでよ。
「俺を置いていかないで。俺を、後悔させないでよ。」
悲鳴に似た声が情けなく響く。手や耳や鼻先やほっぺたや、色んな所の感覚が消えていく。
新八っつぁんのいない世界なんてこれっぽちも興味ない。
「はは、泣き虫だなぁ」
「それは新八っつぁんじゃないか」
「まさか、泣いてねーし」
ねぇ、一緒に帰ろうよ。あの家に。
帰ったら俺ココアいれてあげるから。
(だからまた笑ってよ)
2011.11.18
斉藤うに