ひめひび

□2010-2011拍手ログ
4ページ/6ページ

【ひめひび2/明良】




 両手に下げた紙袋が、重い。
 バレンタインである。今年は平日なものだから、更にひどかった。「いやあ、モテて羨ましいですな」などと職員室で厭味を言われるくらいならまだいい。


 今日は菜々美の誕生日なのだ。


 車の後部席に紙袋を突っ込み、運転席に乗り込む。今からでは着替える時間はあまりない。一応、状況を見越して良いスーツを選んで着て来てはいるが、本当なら一張羅のアルマーニを着るはずだったのだ。
 俺はちらりと助手席に目をやった。そっと置かれた小振りの紙袋。誰でも知っている有名なブランドのものだ。
 菜々美ももう大学生だし、こういう少し大人っぽいアクセサリーもそろそろ似合う頃だろう。もう18歳だし、いつ恋人が出来てもおかしくない。
 それを寂しく思う自分き苦笑が漏れた。
 いつになったら妹離れが出来るんだか。
 俺は紙袋をそっと座席の後ろに回して、上にコートをかけて隠した。







 菜々美との待ち合わせは、駅前のコーヒーショップ。中で待つよう言っておいたのに、菜々美の姿は店のすぐ前にあった。しかも、ナンパされている。
 一旦近くのパーキングに入れるのを路駐に変えて、俺は慌ただしく菜々美の元に向かった。


「菜々美…!」


 俺は呼んだが、菜々美が振り向いたのはそれより早かった。


「お兄ちゃん!」
「すまない、遅くなって」


 駆け寄った俺が睨みつけると、ナンパしていた少年二人はすごすごと引き下がった。当然だ。俺は奮然としながら、冷えきった菜々美の手を取った。


「中で待ってろと言っただろう」
「ごめんなさい。でも、私もさっき来たばかりなの。それに、お兄ちゃんすぐ来てくれると思ったから」
「来たばかり?」


 繋いだ手を軽く振って見せる。こんなに冷えていて、10分以上待っていなかったわけがない。菜々美は悪戯っぽく笑うと、俺の手を引いた。


「ほら、早く行こうお兄ちゃん。私、お腹空いちゃった」


 その笑顔に、俺は滅法弱い。言い付けを守らずナンパされていた分の小言は後回しにして、俺は菜々美と並んで歩き出した。 ああしまった、花屋に寄る予定だったのに。


「どうしかたの?」
「すまん、花を買うのを忘れてた」
「いいよ、毎年貰ってるもの。それよりお兄ちゃん、車の方は大丈夫?」


 菜々美に促されて車に戻ると、駅前パトロールの男性が渋い顔をしていた。俺達は軽く頭を下げて、車に乗り込む。エンジンをかけたままだったから、車内はまだ温かかった。シートベルトを締めたのを確認して、俺は車を発進させた。






 目的地は市の外れにある小洒落たフレンチレストラン。バレンタインデーだからか、店内にはカップルが目立った。入口で予約している旨を伝え、コートを預ける。その時一緒にプレゼントを預け、デザートが終わったら持って来てくれるように頼んだ。


「お待たせ、菜々……」


 白いコートを脱いだ菜々美は、ほっそりした肢体に淡いピンク色のワンピースを纏っていた。光沢のある生地に、ビーズの刺繍がキラキラと光っている。まるで雪の下から現れた春の妖精――などと言ったら大袈裟に聞こえるかもしれないが、俺の目にはそう映った。
 幼さの抜けてきた頬の輪郭を、癖のない栗色の髪が縁取っている。俺を見つけて笑うその笑い方も、昔と変わらないのに。


「……綺麗になったな」


 眩しいくて、俺は目を伏せた。
 菜々美は、本当に綺麗になった。
 いつまでも俺だけの菜々美じゃない。何かからそう突き付けているようで、胸が切なく痛んだ。


「お兄ちゃん…?」
「いや、なんでもない」


 俺は首を振り、菜々美をエスコートすべく腕を差し出した。
 


 もう少し。
 もう少しだけ。


 お前に恋人が出来るまでは。
 俺が安心して託せる奴が現れるまでは。


 俺の可愛い菜々美でいてくれ。











 
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ