骸雲小説

□囚人のジレンマ
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プロローグ



懐かしい、夢を見た。



そう言ったら隣に座っていた男が少しだけ微笑を浮かべた。


「本当に貴方は彼のことが好きですね」


僕はフン、と鼻を鳴らしていつもより強いアルコールの入ったグラスを傾けて喉にその琥珀色の液体を流し込んだ。
口に含んだ液体がゆっくりと喉を下っていく感触はいつになっても好きにはなれない気がする。


「いや、好きだった、ですかね」


眼鏡を掛け直してかつて医師だったその男は僕の顔をじっと見て零れるように優しく微笑んだ。彼は酔いを含んでいながら、静かな狂気を漂わせるようなそんな目をしていた。


「…くだらない」


そんなんじゃない、僕はそう答えると氷を噛み砕いた。


「じゃあ、どうしてこんなふうに何かを追いかけるように世界中を旅しているんですか」


猫のように組んだ腕にもたれたまま、いたずらっぽく目を細めて尋ねる。
ずるい、と思った。
彼は何もかも知っているくせに。


「生きているのが辛いから」


そうそっけなく言えば彼が乾いた笑い声を上げた。


「彼は死んだ、そう言い聞かせてもどうしても諦めきれない貴方は世界中を旅して彼の痕跡を探している。彼のために生きなくちゃと思っていても、生きるのが辛いと、そう言いたいんですか」


「そう、だと言ったら?」


カラン、と彼の持ったグラスの中の氷が解けて転がり落ちた。
視線を落ちた氷からそのグラスを握る手に移し、最後にぼやけたやけに冷たい表情をした顔が映った。


「死んでしまえばいい」


彼の言葉は冗談のように空気を震わせたが、目は笑っていない。
ふ、と僕は自嘲気味に笑うと席を立った。

最近になって、度々彼と連絡を取りこうして酒を呑むようになった。でも会話はいつもこうして唐突に途切れ、静かな静寂が訪れる。
酔って二人である種の諦観を感じながら彼を思い出してお互いを傷つけあう。
僕と彼の関係は奇妙な均衡を保っていて、傷つけあう癖に傷を舐め合うようなそんな会話を繰り返す。

ふと出口で振り返ると、眼鏡を外した彼は両手に顔を埋めていた。その背中に少しだけ同情した。


「君も、生きるのが辛いんだろう?」


聞こえない言葉を夜の闇に吐いた。
冷え込んだ外の空気が背中を這い上がり、アルコールで火照った僕の体を冷ました。



昨日、花屋で季節外れの温室育ちのひまわり花を買った。
寝る前にベッドサイドのテーブルに置いて眺めながら寝たらすごく、懐かしい夢を見たんだ。


あの忘れられない夏の記憶、病室の窓辺で見たあの鮮やかな空の色とその隣に佇む優しい、愛しい人の夢を。



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