骸雲小説2

□囚われの姫君
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14世紀末、イタリアのフィレンツェの都では文芸復興、つまりルネサンスの花が開花していた。

そしてルネサンスを支援し、莫大な資金を投したのが当時最も繁栄していた王侯貴族一族のメディチ家である。

メディチ家の当主、ディーノ=デ=メディチは市の税収の65%を自費から出すことによって確固たる地位を築き上げ栄光を手にしたが、彼には他人には絶対に言えない秘密があった。






ディーノは若い頃に、奴隷として売られていた東洋人の女の美しさにほれ込み、彼女をベネツィアの別荘に囲った。

そして時が経つとその女はディーノの子供を妊娠した。


「俺が女を囲っていたなんて知られたら、地位が危うくなる。産まないでくれ」


ディーノは女に子供を産ませる気はなかった。

しかし、女はディーノに黙って隠れて子供を産んだ。

それに怒ったディーノは言いつけを守らなかった女を殺し、生まれた子供をベネツィアの別荘に幽閉してしまった。



その子供の名前は、雲雀恭弥。



恭弥は、15歳になると母親と似た、あどけなさを残した美しい顔立ちの少年に成長した。


しかし、ディーノは恭弥を絶対に別荘からは出そうとはせず、彼は広い屋敷の中から産まれて一度も出たことはない。


恭弥が知っているものは、高い塀のと、前の大きな通りと青い空だけ。


「お父様、外に出たい」


恭弥は時々やってくるディーノに幾度となく懇願したが、その度にディーノは血相を変えて怒った。


「おまえはこれから一生ここの中で生きてここで死ぬんだ」


ディーノはそれを恭弥に呪文のように言い聞かせた。

そのたび、恭弥は真っ黒な瞳から涙を一粒だけ零した。


「ここから出たい、外に行きたい」


恭弥はそれだけを願って、味気のない、虚ろな何にもない毎日を過ごした。






しかし、恭弥には週に一度だけ楽しみにしていることがあった。


「こんばんは、恭弥」


その人物は木曜日の夕方、決まって恭弥の部屋の窓辺のテラスにこっそり現われる。


「久し振り、骸」


真っ白なテラスに夕闇に紛れて降り立った彼は、まるで吸血鬼のように真っ黒なマントを体に巻き付けていた。


「ご機嫌麗しゅう、囚われの姫君」


にっこり微笑んで骸は窓辺の恭弥の手の甲に唇を寄せる。

骸は一年ほど前からここに通うようになった。

何者かに追われて偶然逃げ込んで来た骸を、恭弥がかくまったのだ。

それ以来、骸は外の耳新しいニュースと共に、恭弥に会いに来るようになった。


「ねえ、何だか今日は外が騒がしいんだけど…何があるの?」


恭弥がするりと擦り寄れば、骸はその黒い髪を優しく撫でた。


「今夜は、ベネツィアのカーニバルがありますよ」


「カーニバル?」


「身分の関係なしに、皆仮面を被って広場で一夜を踊り明かすんです」


「へえ…君も参加するのかい?」


「ええ、だからこんな格好を」


骸はそういって銀細工の美しい仮面を取り出した。

一目で名工が作った物だとわかるその優雅なデザインに恭弥は見惚れた。


「そうなんだ…楽しそうだね」


ちら、と揺れた黒い瞳の中で羨望と嫉妬が吹き荒れているのを骸は見て取った。


「恭弥も行きますか?」


恭弥は骸の言葉に目を輝かせたが、また目を伏せて囁くような小さな声で言った。


「無理だよ、僕はここから出れないんだから」


「そんなことないですよ。ディーノ・デ・メディチにそう言われて諦めているだけで、君が手を伸ばせば自由はすぐそこにあるんです」


「手を伸ばせば…?」


恭弥はまるですがるように骸の方へと手を伸ばした。

骸はゆっくりと微笑みを浮かべ、その細い手を取った。


「お供してくれますか、囚われのお姫様?」


妖艶に微笑んだ骸に、恭弥は頬を染めて頷いた。

この藍色の髪の美しい青年なら、自分を本当に連れ出してくれるような気がしたのだ。




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