逃水の宴

□大切な人で五題
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・何故、君でなくてはならないのだろう

優しい彼がその手を血に濡らし、その身を罪に染めていく。そして彼は今、絶望の底にさえも叩き落とされたのだ。

「……嘘、だったんだ…」
「ああ…。全てはティアマットの欲望の為に駒とされていたのだ」

竜殺しの罪。彼は献身的に、忠実にティアマットの駒となっていた。別段己の欲があった訳では無かろうに、彼はその罪を負っていた。

「何故…お前はティアマットに手を貸した?」
「竜殺しなんて…知らなかったんだ…」
彼は呆然と呟いた。森の知恵の竜が背にする大樹を見上げ、泣きそうにその顔を歪める。

「………」

愚かな、とシエラは嘲ることは出来なかった。
目の前の彼がどれほど純真で、真っ直ぐか、痛いほどに分かったからだ。
けれど彼にこのままゆっくり癒しの時間を与えるわけにはいかない。今この瞬間も、世界は確実に終わりへと向かっているのだ。
シエラは二本一対の愛刀をぐっと握りしめた。一気に間を詰めて風璃に迫る。

「っ!」

咄嗟に彼は跳びすさり、傷付けることはなかった。驚きの表情を向ける風璃に、シエラは静かな声で告げた。

「……お前の腕を試させてもらう」
「…どう、して…」
「ティアマットをこのままにしてはおけん。だが私一人では到底敵わない…これまでのお前の腕は買っている」
「それは…っ」

再び、その手を血に濡らせと言う残酷な宣告。
無理強いさせたいわけではなかった。しかし先刻の言葉通り、シエラ一人でどうにかなる相手ではないのだ。

「っ……分かった…」

泣きそうになりながらも涙は見せずに、風璃は頷いた。その眼光は存外に鋭く、シエラは思わず息を飲む。
そんなシエラに、今度は風璃が哀憐の視線を向けた。

「…君だって、肉親である弟と戦ってるんだもんね」
「っ……」

彼はどこまで優しいのか。何もかもに裏切られた筈なのに、こうして前を向けるなんて、どれほど強いのか。

(どうして…)

どうしてこんなに優しい彼が傷付かなければならないのだろう。
どうして彼を選択するしか術が無いのだろう。
この理不尽な世界に、シエラは泣きそうになった。




END.
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