逃水の宴
□サイト一周年企画
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[[ノルン山脈へ-一欠]]
春の陽気に誘われてか、隣に座り込んだ村雨がぐるぐると喉を鳴らしている。
何となく喉を擽ってやると、気持ち良さそうに空を仰ぐ。
その様が可笑しくて、俺は少しだけ表情を緩めた。
堅い地面の上に座っているのは別に苦では無かった。だが寝転ぶには少々遠慮したいところだ、こんなに昼寝日和だというのに。
村雨の欠伸につられそうなのを堪え、何所までもマイペースな小さな竜を嗜める様に撫でる。触れた鱗は堅くけれど温かく。
「…村雨」
きゅう、と子竜は鳴いた。
返事をするように。
その視線の先には、何も無い。
只何でも無い、山脈の別れ道。その端に、俺と村雨は蹲って――否、堂々と腰を下していた。
辺りに転がる場違いなパステルカラーの包みは、少し出掛けると言ったらコロナが持たせたものだ。いつの間に用意したのか、簡単な昼食が入っている。
何も無い此処、けれど其処にはとても大切なものがある。
手を付いたそこは、あの日とは違って、陽に照らされ温かい。
「………」
雪は、融けた。春になったのだ。
「…春、か」
通って来たふもとの山林も、柔らかな色の花を付けていた。
そこで摘んで来た花を、そっと置いた。
「村雨は、――…お前の子供は、元気だ」
ここは、子竜の親が眠る場所。
「ちゃんと、自分で生きてる。強く育った」
短い手で頬を掻いているのは、照れているからなのか。
そんな村雨を抱き寄せ、腕の中におさめる。
「俺は何もしてない。只、共に居ただけだ。それは村雨が望んだことだ」
不意に…ポツリと降ってきた。それは細い雨。
静かに優しく、春雨が。
泣いているのだろうか。誰が、どうして?
それは若しかしたら俺だったのかもしれない。
自分で確かめようとはしなかった。それを無意識に恐れていたのかもしれない。
どうしてかは分らず、けれど其処は絶対不可侵領域。
きゅう、と腕の中の村雨が鳴いた。
俺は世界に感謝なんてしたく無いから。
そう、お前が此処に居る事に。お前を生んだ親に。
「…有難う」
一欠END.