影歩き
□いつかの詩(うた)。
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エレは絶望していた。歌うことを禁じられたのならば、もう二度と自分はその喉を潤さないと。船の航路から離れた灯台で、誰に聴かせるでもなく一人でひっそりと歌うと。
「そんなのおかしいわ。歌いたきゃ歌えば良いじゃない。船なんて沈めば良いじゃない!」
フラメシュは顔をしかめて叫んだ。
彼女は美しい声を持たぬ故。彼女は空を自由に羽ばたく翼を持たぬ故。
「好きにすれば良いじゃない…」
「…フラメシュ」
エレは哀しそうに笑む。
「それでも。私は人間を憎めない」
「そんなのは偽善に過ぎないのに?」
不意に、良く研いだナイフの様な声が滑り込んだ。そして其れは深く鋭く突き刺さる。
「……氷華、さん」
氷華、と呼ばれた少年は返事をしなかった。
其れは彼の名であって彼では無い。彼は名に何れ程の価値も必要としなかった。
「自分が宿命の為に歌えば船が沈む。そして自分は弾圧され、二度と歌うことをしない。其れは現実逃避か?」
「っ…私は…」
「自分が傷付く事を恐れている。時が動く事を恐れている」
岩にもたれ、彼は抑揚の無い声(こわ)で言葉を紡いだ。
そうして、静寂。
すぐ近くの筈の海の潮騒が遠くに聴こえる。鴎の鳴き声もすぐに消え去って。
「籠から出るには、何が必要か考えろ」
其れだけ言って、彼は挨拶も無しにその場を去った。
フラメシュがあからさまに嫌悪の眼差しを向ける。エレは哀しそうにうつむいただけだった。