短め2('12/4/1〜)
□『スキ、すき、好き。』
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すべてそつなくこなす男の、ほんの少しの隙を見つけると、なんとなく得意な気持ちになる。
「おい」
「何でしょう」
「何があったか知らんが、イライラするな。こちらまで落ち着かん」
「・・・・・・それは、私に仰っています?」
「この部屋に、他に誰がいるんだ」
机に向かう僕と、書架の整理をしている執事。
いつもと変わりなく、いつもと同じように、この執務室にいるのは、僕達二人だけだ。
「『イライラ』しているように見えましたか?」
「違ったのか」
「それは、・・・・・・いえ、そうですね。確かに多少苛ついておりました。失礼しました」
厭味な程優雅に頭を下げる執事を目の端に留めて、中断していた作業を再開した。いつもどおり滑らかに紙を滑るインクの具合に満足しながらペンを進める。
しかし、さっさと残りを片付けようとする僕と裏腹に、セバスチャンは一向に仕事に戻る気配がない。
こんなとき、構わず放っておけばいいと分ってはいるのだが、結局くやしくも僕はそれができない。だからせめてもの抗いというか、今度は手を止めず、セバスチャンの方に向きもしないで言った。
「今度は何なんだ。言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「いえ、坊ちゃんにとっては取り立てて気になさるほどのことではないようなので、申し上げるのが憚られるのですが・・・・・・」
「いちいち面倒くさい奴だな。良いからさっさと言え」
「では、これは後学の為にお伺いしたいだけなのですが、先ほど坊ちゃんは、何故あのようにご推察されたのでしょうか」
「何だ、まだその話か」
僕はすっかり終わった話として片付けていたが、この男にとってはそうではないらしい。
「私はいたって普通にしていたつもりなのですが」
「別に。なんとなくだ」
「なんとなく、ですか」
セバスチャンは、ふむ、と小首を傾げる。
この男の、こういう納得していないのが丸分りな言い方は、らしくなくて、好きだ。
意地悪く愉快に面白がっているわけではなく(ただそれがないと言いきれるほど自分の性根が正しいとは思わないが)、思わず頬が緩んでしまいそうな、温かい感情からくるものだ。
そして、こんな風にすることが僕の前だけなのではないだろうかと思うと、柄にもなく浮かれてしまう。
「お前は、意外とわかりやすいという話だ」
「顔に出したつもりはないのですが・・・・・・」
そうだろうな。
僕だって、僕は別にお前の顔で判断したわけではないんだからな。
なんとなく、というのは、うそではない。
なんとなく、そんな雰囲気がしたから。
それだけだった。
世の中、確証があることばかりで出来てはいない。
「で、結局、そのイライラとやらの原因は何なんだ」
「聞いて頂けるのですか?」
「とりあえずな」
仕事中の片手間だから、これこそ本当にとりあえずだな、と思う。
しかしそんなことは大した問題ではないという調子で、セバスチャンはつらつらと自分の言い分を語りだした。
「とりあえず聞いて頂けるだけでも僥倖なものです。ただ、ここ数日ひどく騒がしくひどく姦しくひどく面倒な方々が大挙しておいでになったり、使用人達の度が過ぎる失敗が重なったり、坊ちゃんがご自分でなさればいいお仕事まで私におしつけたりで諸所の業務が滞り、そのせいで坊ちゃんとの色めいた時間も削られてしまい、鬱憤がなかなか良い具合にたまっていると言うだけですから」
「長い。まとめろ」
「つまり、構って下さい、ということでしょうか」
「何だ。僕が構ってやったら機嫌がなおるのか」
「遊んで下さいます?」
顔をあげると、セバスチャンは何時の間にか僕の真横に立っていた。
やっと目が合いましたね、そう言うと、くるりと僕が座る椅子を回す。
もちろん、自分と向かい合うように。
僕はペンをおいて、両手を軽く広げた。
「そんな調子で仕事されてもかなわんからな」
すかさず、セバスチャンは僕の腕の中に潜り込む。
「さすがファントムハイヴ家。充実した福利厚生ですね」
「そうか。だったら、今度バルドかフィニあたりにもやってやることにしよう」
ごろごろとじゃれていた男の動きが、一瞬で止まる。
そしてさっきまでの笑顔はどこへやら、眉間にこれでもかと皺の寄った顔で僕を見上げた。
「・・・・・・坊ちゃん、冗談でもそのようなことを仰らないで下さい。ましてや行動に移すなど、絶対にしてはなりませんよ?」
「折角の僕の好意を、福利厚生扱いしたお前が悪い」
「照れ隠しですよ」
「意味がわからん」
「いえ、なんだか気恥かしいといいますか、決まりが悪いといいますか」
「お前でも照れるんだな」
「そのようですね」
男はするりと腕をすりぬけると、僕の首筋に顔を埋める。
「でも、貴方に暴かれると、なんだかくすぐったくて、嬉しく感じます。何故でしょうね」
こっそりと艶やかな低音を紡ぎ出す唇は、僕の唇に触れる。
何度か触れるだけのキスをして、また僕の胸元に顔を埋めた。
リボンに手をかけないところをみると、先に進めるつもりはないらしい。
かといってこの調子だと、このまましばらく離れそうにもない。
セバスチャンが動くたび、さらさらとその黒髪が揺れる。
軽く梳くと、指の間からするりとこぼれおちる。
先程より、部屋の空気がゆっくりと流れているような気がした。
もうしばらく、このままでいい。
ちがう。このままで、いたかった。
「敏い主人を持って幸せに思え」
「ええ。この上ない良好な職場環境で、ありがたい限りです」
僕の背中に腕を回したまま、セバスチャンは目を閉じる。
長い睫毛をなぞると、くすぐったそうに笑った。
数年を共にすれば、この男の表情に出ない感情を、誰でも察すようになるのだろうか。
誰の腕の中でも、こんな穏やかな表情で微笑んだりするのだろうか。
それとも、全部まとめて、悪魔の手のひらの上なのだろうか。
けれど、腕の中で猫のようにじゃれている執事を見ていると、それもこれも、すべてどうでもいいような気がして、それ以上考えるのはやめた。
どうか、これらすべてが、僕だけのものでありますように。
end