おでかけ日記

□城下町新発田の歴史
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切込みはぎの石垣

寛文8年(1668)の大火で城内のほとんどが焼失し、翌9年の大地震で石垣も大半が崩れた。そこで、まず石垣の積み直しから取り掛かり、江戸から渡瀬利兵衛等を呼び寄せ、当時の最高技術である「切込みはぎ」と、角は「算木積み」と言われる積み方に代えた。それまでの「野面積み」と異なり、石の表面は平に整形され、目地は隙間なく積まれている。石は五十公野に産する「古寺石」といわれる粗粒玄武岩(そりゅうげんぶがん)で、現存する約350mの綺麗な石垣と土居は、全国ても稀なものと評価され、石垣を含む本丸の一部が平成14年市指定文化財(史跡)となった。
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