1st.

□00かくして歯車は密やかに動き出す
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 早朝。真新しい旅装束に身を包み、誰にも気付かれないようそっと部屋を抜けだす男がいた。あまり音を立てないよう細心の注意を払い庭へ出る。今は辺りは薄暗く、全て見渡せないが手入れが行き届いた美しい庭だ。
 太陽は山の隙間から少し顔を覗かせ、冷え込んだ空気を緩やかに暖めながら世界を照らしはじめる。春になったとはいえ、朝はまだ寒い。
 だが絶好の旅日和。前々から練っていた計画を実行する機が来た。
 そんな中、背後から少女の声が響いた。

「出て行くというのは本当なの!?」

「おはよう、お姫様」

 内心動揺しつつも質問には答えず、はぐらかすように朝の挨拶をする。

「質問に答えて!」

 男が出て行くことを前もって見抜き庭へ張り込んでいたのだろう少女は、挑むように男を睨み付ける。
 幼いながらも迫力のある少女の眼光に、観念した男は溜め息をついた。

「もともと俺には王宮勤めなんて堅苦しいの、向いてないんだよ」

 両親に別れを告げ、王にも許しを頂いた。だが問題は目の前にいるお姫様だった。黙って出るつもりだったのだが、賢い彼女にはそんな自分の浅はかな考えはお見通しだったらしい。まだ十にも満たない歳なのに。まったく末恐ろしい。

「いや!認めないわ!」

 少女は男のことがずっと好きだった。そして男は少女の好意に気付いていた。男にとって少女は、人一倍可愛がり、時に厳しく接した、恐れ多くも掛け替えのない妹分だ。傷つけたくない。
だからこそ、出て行こうと決心する。妹のようにしか思えない自分は、近い将来少女を傷つける。そんな確信めいた予感があった。
 もとより男は外の世界に強い憧れを抱いていた。世界を巡る、それが男の夢だった。

「いや…いかないでよ」

 少女の瞳から大粒の涙がこぼれ出す。慌てて俯く。泣き顔を見られたくはなかった。

「…ごめんな」

 不意に頭に心地よい感触。男は少女の頭の上に手を乗せ、優しく撫でる。
 少女のこんな弱弱しい姿は初めて見る。普段は物静かで利発な少女の面影は、今はどこにも無い。本音でぶつかって来てくれる。そこまで慕ってくれているのを嬉しく思う反面、勝手な理由で別れを告げる事を誰よりもすまなく思った。
 まだ幼い少女には男の気持ちはわからない。裏切られた、見捨てられた、様々な負の感情が少女の中で蠢く。

「…あなたなんか嫌い、大嫌いよ!」

 男を見ずにそのまま走り去る。太陽が昇る前からずっと庭にいた為に手は冷たくて。だがぎゅっと握り締めて走る。心はもっと寒かった。
 少女が男の心を理解するのは、また数年先の話となる。


「大嫌い…か」

 先ほど少女に言われた言葉を繰り返し、苦笑いを浮かべる。走る去る間際の少女の顔が頭にかすめ、奥に押し込めたはずの罪悪感が少しずつ滲み出てきたので、慌てて自分に言い聞かせる。これでよかったのだと。
仕える筈の国を去り、両親を残し、少女をも捨て、残ったのはその身ひとつ。
 気づけば太陽は顔をすべて出していた。とはいえ空はまだ暗色のベールで包まれている。だが時間が経てば、どこまでも蒼く澄み渡る。
 さあ、旅は始まったばかりだ。

 世界はきっと、美しい。

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