小話

□中学生×家庭教師
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…………あれから数週間。
家庭教師も残す所あとわずかとなり、今日は最後の追い込みに入っていた。

依然として僕は家庭教師だったし、人識君はその生徒という関係だった。

でも、変わった事もある。
僕の家で勉強する時には、姫ちゃんがいるようになり、零崎家で勉強する時には舞織ちゃんがいるようになった事と、
人識君に抱きしめられなくなった事だ。

特に意図した訳ではないけれど、二人きりになった所でどう接していいかわからなかったので、彼女達の存在には助かっていた。

人識君は、それ以外は相変わらず冗談も言うし問題も真剣に解く、あらゆる意味で優秀な生徒だった。

……あの日の事が気にならないといえば嘘になる。
が、僕にも彼にも、目の前に入試や課題が迫っていたし、新しく加わった姫ちゃんと舞織ちゃんに質問攻めに合ったりして、お互いに言葉を交わす機会が減ってしまった。
特に姫ちゃんは、放っておくと問題集に謎の小動物を量産し始めるので注意が必要だった。


「…………姫ちゃん、それは?」
「ニュースタイルミサイルマウスDBスクラップですよー」
「新型の廃棄物かよ。ていうか今は何の時間だい?」
「うー、師匠は姫ちゃんに冷たいのです」
「問題を解けと言ってるんだ。ほら見ろよ、人識君を。姫ちゃんより年下なのに」
「入試と小テストでは力関係が違うですよ」
「力加減ね。で、これは?」

解きかけの問題を指しながら、ちらりと人識君を見ると、こちらには見向きもせずにもくもくと勉強している。
そういえばあの顔面の刺青は面接の時どうするのだろう、と関係ない事を考えた。そもそも、どういう事情で彼はあんな目立つ所にあんなものを?

「ししょー、やっぱりわかんないですよー」

姫ちゃんの声で問題を見る。ちょっとした応用問題だったので、軽く説明しようとした時だった。

「なぁ、それ俺にも解ける?」

唐突に、人識君が姫ちゃんの問題を覗き込みながら言った。


「うーん、一応高校の範囲だからね…習ってないと難しいと思うよ」
「ぶっちゃけ受験の勉強に飽きたんだよ。なぁいーたん、休憩だと思ってその問題の解き方教えてくれよ」
「……別にいいけど、休憩なのにいいの?」
「んー、そうだな、じゃあ俺の休憩はそこのリボンっ娘にやるよ」
「姫ちゃんはララ派です!」


おかしな事になってきた。
咄嗟に僕は、家庭教師の顔をする。

「姫ちゃんはまだ休憩しちゃ駄目」
「じゃあララちゃん、俺の分まで休憩満喫してこいよ」
「む、ちょっとムカつくけど恩に着るのです!」

そう言うが早いか、姫ちゃんはダッシュで外へ逃げ出していった。

「あ、こら!姫ちゃん!……あーあ……ったく、姫ちゃんは……人識君も余計な事言うなよ…」
「息抜きは必要だろ?」
「君はいいのか?」
「かはは、なぁ、これはどう解くんだ?」
「……まずはこの範囲の基礎から説明しなきゃいけないんだけど」
「別にいいよ。教えてくれ」
「……はぁ」

そこまで言うなら仕方ないな、とため息をつく。
人識君に勉強を教えるのは久しぶりだった。
というかあの日以来だ。
そういえば二人きりになるのもあの日以来だ、と飛びかけた思考を無理矢理戻して、高校の教科書を開き説明を始める。
時々こちらを見る人識君の視線から逃れるように、僕は公式をノートに書き出す。

「で、つまりsinθとcosθは1より大きくならないし、−1よりも小さくならないから、こっちの答は無効になるんだ。わかる?」
「おう。て事はθ=30゚か?」
「その通り。流石だね」
「かは、いーたんの教え方が上手いんだよ」
「そりゃどうも」

…会話が、途切れる。
沈黙自体は嫌いではないけれど、
人識君を相手にするとどうにも落ち着かなくて
心臓が自己主張するのを感じる。
ああ駄目だ、これじゃまるで

「……いーたん」

びくっと身体が反応する。
僕は無関心を装うような声で返事をする。

「……何?」
「…………俺……」

ちらりと彼を見ると、何も考えずに声をかけてしまった事を後悔しているような、言いたい事があるけれど言うべきか躊躇しているような、どちらとも取れる複雑な表情をしていた。

「…………」
「………………」

どのくらいそうしていただろう。
僕の心臓は破裂しそうなくらいに収縮運動を繰り返していて、目の前の問題の事なんかとっくに忘れ去っていて、
ただ自分の腹の辺りを見つめるような姿勢で、人識君が話し出すのを待っていた

「俺、志望校決めた」
「そっか」
「うん」

てっきりあの日の事を話し出すのだと思っていたから、僕は少し面食らう。
だけど人識君のあまりにも思い詰めた表情をしていたから、僕は慎重に言葉を選ぶ。

「ああ、だから高校の勉強しようと思ったんだ」
「まぁ……うん」
「受験の意思がない割には頑張ってるなぁとは思ってたけど」
「最近決まったんだよ」
「高校受験はそこそこ大変らしいから頑張ってね」
「らしいって何だよ」
「僕は推薦だったから」
「マジかよ」

……まぁ、半分は嘘なんだけど。
そういうことに、しておこう。

空気が緩んできたところで、僕は核心に触れることにした。

「…で、君はどこの高校に行くんだ?」
「……高校と呼ぶのはあまり的確じゃないかもしれないけど」
「なんだよそれ」
「日本じゃないんだ」
「え」


日本じゃ、ない?
言葉を失う。
これ以上は心臓が破裂してしまう。
まさか。まさか。まさか。
それは、嫌だ。

「……じゃあ、君は一体どこへ行くんだ?」


嫌な予感は期待を裏切らなかった。


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