他の話

□煙霞
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レンガで出来た、中世を思わせる場所。ムーンライトマンションの一角。
どうしてこの忌々しいエリアに来ているのか。
別にここの担当者に用がある訳ではない。いや、ある訳がない。
長い長い、歩き慣れない廊下を見回す。
エリアの端の方に出てしまったのか人ひとり見当たらない。
多く並んだ窓からは光が差し込み、執拗に俺の存在を示す。
眩しいエリアだ。
悟られたくない俺は出来るだけ影を選んで歩き、顔に光が当たらないよう手で遮って歩いた。
目的の人物は見つからない。
「どうした、モーリィ」
背後からなるべくならば聞きたくなかった声がした。
名前を呼ばれ顔が引き攣る。
「珍しいな、何か困った事でもあったか?」
選りに選って、なんて運の悪い。
振り向けば、用がない方の、反吐が出るほど嫌いな彼が俺を見つけるなり歩み寄ってきた。
馬鹿みたいに逆に寒さを覚えるほどの爽やかな笑顔をこちらに向けて。
気持ち悪いくらい上品で安定感のある歩き方を見ていると、すぐにでも足元を蹴り飛ばし転ばせてやりたくなる。
「馴れ馴れしく話しかけんじゃねえ。ウドの大木がよ」
喧嘩を売られたわけでも無しに、反射的にトゲのある言葉を選んでしまう。
「今日もキレがあるな。では、無駄を省こう。此処に何の用だ?」
にも関わらず、相変わらずの糠に釘を打つ感覚に思わず舌打ちが漏れた。
俺の猫背とは対照的な、その真っ直ぐでバランスの良い背筋をへし折りたい。
「ボンカースを貸せ」
「ボンカースだな」
手短過ぎる用件。
気を遣ってか、それとも何も考えていないのか返事が早い。
「それでは応接間……、あの一番奥の部屋で待っていてくれ」
呼びに行くのだろう。俺の後ろを指し、そう言うと彼は側のワープミラーへ消えた。
俺は返事もせず言われたままに応接間へと向かった。

応接間にしては広い。
中央より少し奥には低いテーブルと、それを挟むようにソファーが2台向き合っている。
右の壁際には用途の分からない白いテーブルに椅子が2脚。
それだけの、とても来客用の部屋とは思えない広がる殺風景。
どれだけ待たされるのか……。
なんとなくソファーに座るのか癪で壁際の椅子を引く。
この席では部屋の全貌を伺うことができた。
家具の少なさによりだだっ広く見える空間。
廊下よろしく窓から差す光に嫌な開放感を感じ、それとなく落ち着かない。
側の壁に沿って伸びる薔薇の香りがまた不愉快で。
顔を歪め、失敗した、と自分の捻くれた性格を恨んだ。
組んだ腕をそのままテーブルに置き、それらから逃れようと突っ伏していれば足音。
コツ、コツ、と均整の取れた誠実な足音は先程の彼だった。
「ああ、モーリィ。そんな所に座っていたのか」
顔を上げる頃には、廊下で話した時よりも馬鹿っぽい笑顔を晒して部屋の出入り口付近に立っていた。
耳が寒い。
「名前を呼ぶんじゃねえ」
「難しい注文だな。わかったぞ」
俺はまた、空を打つのか。
名前を呼ばずしてどう呼びかけるつもりだろうか。
彼の性格なら尚更。
もう少し文句を言ってもいいじゃないか。
「ボンカースは今手が離せないらしい。暇だろう。それまで話をしないか」
同じ足音を立て部屋の中央へ移動し、俺へと身体を向ける。
互いがよく見える位置だと気がつき思考が擦れる。
「誰がてめぇと–––––」
そう、悪態を吐こうとした時。
「キングゴーレム様……?」
会話の途中である事もお構いなく飛び込んできた聞き慣れない声に、俺は驚き口を閉じた。
声の方を見れば下の種族であろう身なりの女。
つい数秒前まで彼がいた位置に遠慮がちに立っていた。
このエリアの住人か。
「ん?何だ?」
こちらのやり取りを中断し、廊下で見たものと同じ顔が彼女に向けられる。
「お時間すみません。その……」
宙に吊られたまま忘れ去られた気分だ。
まるで俺が見えていないかのようにそれは始まった。
なんだか頭痛がする気がして、額に掌を当て顔を俯ける。
彼は、エリアの住人を対象にお悩み相談室の真似事をしているらしい。
それゆえか住人にはやたらと慕われているようだ。
力が物を言う、倫理観の崩壊したこの国にそれは必要なのか。
他のエリアにとやかく言う筋合いはない事はわかっているが、ひたすらに気に入らず。
また、舌打ちをする。
「––––」
彼がこちらに何か言っていたので、適当に聞こえているフリをした。

……。
ボンカースが来る気配はない。
頭に入れるつもりもない声を聴き流し、暇を潰すしかない。
頬杖を付き、横目で彼らの会話の様子を見てひとり勝手にイラつく。
ああ、そうだ。
いつもそうだ。
この馬鹿は。
いつだって”他人の為”を口癖に善行を働く。
下の種族にも、俺たちにも。例外なく。
悪意で満ち溢れるこの鏡の国に似つかわしくなく見えるのに。
そこに善意など微塵も感じられない。
あからさまな悪意も。
目の端で伺える、相手を絆すような友好的な横顔がまた気に入らない。
”お悩み相談”を円滑に進めるためであろう解された空気に横から槍を投げ入れたくなった。
「……けッ」
話は続く。暇潰しも捗る。
考えても考えても彼という性質が解らない。
偽善だろうか。ただの無責任だろうか。それとも徹底された狡猾さだろうか。
誠実さばかりを吐く姿は、今まで見てきたどれにも当てはまらない。
”自分がない”を持っている彼。
誰にでも同じ顔を見せる彼は、欺瞞そのものと言っても過言ではないのではないか。
そう錯覚してしまうことさえ。
「……」
『他人を動かすことなど容易なはずがない。洗脳と呼吸は同義だ』
いつだったか、呟かれた支離滅裂な言葉を思い出す。
妙に冷たく据わった目。浮かべられた表情。
本性だと信じたいほどの薄く、目的を掴めそうな笑みが頭から離れない。
誰よりも解り易いくせに、どうして誰よりも霞がかっているのだろうか。
「すまないな、モーリィ。今終わった」
馬鹿の笑顔が、記憶にこびり付くいつかの薄ら笑いを上から覆う。
あまりにも輪郭のはっきりとした曖昧さ。
その、油画の様な存在が何よりもひどく、ひどく。
腹立たしい。
「こっち見んなよトリ頭」
”名前を呼ぶな”という言葉をもう忘れたのか。馬鹿か。
「むう、注文が多いな。努めよう」
頭痛が酷くなった気がした。
住人はいつの間にやら姿を消している。
「まだ来ねぇのかよ」
「そう慌てるな、じきに来る」
はっは、と呑気な笑い声が、蓄積された理不尽な憤りを刺激する。
……ここが自分のエリアなら殴っていた。
「しかしなんだ、珍しい。また”ガラクタ”集めか?」
行く宛を見失っていた怒りを鎮める努力は、そんな何でもない一言で無駄になった。

……
「ええ……モーリィさん。アレ大丈夫なんですか……?」
「ほっとけ。さっさと行くぞ」
ボンカースがここに着くのと俺が投げた椅子があの馬鹿に直撃するのとは同時だった。
ポケットから取り出し見た時計の針は、お前が思っている程時は進んでいない、と持ち主に訴えかけている。
どうやら俺が異様にせっかちで、急かし過ぎていたらしい。
頭に椅子を受け伸びているキングゴーレムを置いて、一刻も早くこのエリアから出たい俺はボンカースの遅れも気にせず部屋を後にした。

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