音楽練習棟
□DIAMOND RING
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「コレ凄いね!太陽がきれいに見えるよ!!」
マンションのベランダから時人の声が響いた。
その手には売り切れ寸前で手に入れた黒いフィルムの張られた日食観察用のグラスが握られている。
大学生活最後の夏休みを目前にしたこの日は、46年振りに日本で皆既日食が観察される日だった。
「せっかく買ったのですから直接見るような事はしないで下さいね」
「分かってるよ!もう24なんだし、そんな事しないってば」
部屋の中から声をかけてきたアキラとは恋人同士になって久しい。
隣の部屋に住んでいる事もあり、アキラがこうして時人の部屋を訪れる事は年々増えていっていた。
そんな6年間の隣同士の生活も、あと半年程で終わりを告げようとしている。
(この前入学したばかりだと思っていたのに…時間が経つのは早いですね)
すらりと伸びた背や腰まで伸びた美しい若草色の髪、そして5年前に比べ随分と女性らしくなった身体は、すっかり大人の女性で、少女の面影を残していた頃とは明らかに違う。
「ねぇ、アキラは見なくていいの?」
振り返って軽く首をかしげた姿に、アキラの鼓動が速くなる。
もう付き合って長いというのに、過ごす時間に比例して美しくなってゆく時人に未だ見惚れてしまう自分に心の中で苦笑いしながら、アキラはソファから立ち上がった。
「そうですね、そろそろ最大になる頃ですし」
ベランダに出ると、普段より太陽の光が弱まっているのがはっきりと分かる。
部屋の中からは、テレビの特別番組が流れてくる。
「皆既日食が見られる地域はもうかなり暗いみたいですね」
「確かにこっちも暗くなってきてるよね。だいぶ欠けて来てるし…ホラ」
そう言ってグラスを差し出すと、アキラはフィルタを通して月のように欠けた太陽を見た。
「本当ですね、こうやって日食を見るなんて小学生以来ですよ」
普段クールで大人の雰囲気を漂わせているアキラも、童心に帰っていた。
だから、気付かなかった。
隣にいる時人がじっと自分を見つめていたことに。
最近国家試験の勉強に気を取られ、アキラをこんな風にしっかりと見たのは久々だった。
元々入学当初から自分よりも落ち着いていて大人びた所はあった。
だがこうして改めて見ると、その藍色の瞳も、整った横顔も、5年前とは違う大人の男の色気を秘めていた。
(アキラってこんなにかっこよかったんだ…)
共に過ごせば過ごすほど、アキラを好きになってゆく。
自覚すると頬が熱くなっていった。
「丁度今が一番欠けてるみたいですね。貴女も見ますか?」
ふいに澄んだ瞳を向けられ、慌ててグラスを奪うように受け取ると、再び欠けた太陽を見上げた。
まだ心臓がドキドキいっている。
少し涼しくなった風がその熱を冷ましていった。
まるで三日月のような太陽。
月が重なることで起こる神秘的な現象に、改めて感動した。
その時丁度テレビから聞こえてきた単語に、時人は反応した。
「そっか、ここって部分日食だからダイヤモンドリングは見えないんだよね」
「そうですね、皆既日食ではないですから」
「見たかったなぁ、ダイヤモンドリング」
残念そうに溜息をつく時人を、アキラはじっと見つめた。
「…見たいですか?ダイヤモンドリング」
「えっ?うん…」
まさか今から見えるところにでも連れて行ってくれる訳でもないだろうに。
真剣なその声に戸惑っていると
「では、これでどうですか?」
おもむろに左手が取られ、その薬指に銀色に輝く指輪が嵌められた。
中央には、小さなダイヤが光っている。
「アキラ、あの…これって…」
突然の事に戸惑いを隠せない時人の身体を、アキラはそっと抱き寄せた。
「最近は勉強もあってバイトも出来なかったのでこれ位のしか用意できなかったんですが…」
身体を離したアキラに瞳には、まだ状況がつかめていない時人の表情が映っている。
「時人、この先もずっと私と一緒にいてくれませんか?」
アキラが優しく微笑むと、時人の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
「返事…聞かせてくれますよね?」
ゆっくりと時人が頷く。
「僕の方こそ…ずっと一緒にいさせて?」
46年振りの奇跡が起きたこの日、一度月に隠れた太陽がもう一度生まれた時、二人の新しい時間も動き出した。
26年後、再び日本で皆既日食が観測される時は、共に本物のダイヤモンドリングを見に行こうという約束と共に…――
fin.
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