音楽練習棟

□6分間の温もり
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少しずつ、辺りに暗い影が落ち始める。
それは、空に立ちこめた雲のせいではなく、夜の闇にひどく似ていた。

46年振りに日本で観測される皆既日食。

ここ数日、テレビの話題を独占してきたそれが、まさに訪れようとしていた。
自然が織りなす神秘的な現象を一目見ようと皆既日食スポットに詰めかけた多くのツアー客の中に、一際目を引く金と銀があった。

「やっぱり今更晴れないかなぁ」
「そうだな…」

すっかり主役であるはずの太陽を覆ってしまっている灰色の雲に、ほたると辰伶は揃って溜息をついた。
特別なイベントが大好きな辰伶が、皆既日食に興味を示さない訳はなかった。
比較的安いツアーを見つけ、二人揃って遠い島までやってきたのが昨日。
その頃から優れなかった天気は、未だ回復しないままだった。

「でも何となく暗くなってきた感じはあるな」

そう言いながら辰伶はカメラのレンズから目を上げ、鉛色の空を見上げた。
雨が降る前の暗さとは、やはり違うものを感じる。

「せっかくフィルターも買ったのにね」
「まぁそれでも色々撮れたからな」

苦笑しながら見つめた手の中のカメラ。
一眼レフのずっしりとした重みのあるそれは、いつも旅行の時に辰伶が必ず持って行くものだ。
今回は皆既日食の様子を撮ろうと特別なフィルターまで準備したのだったが、どうやら役に立ちそうにはない。

太陽は直接見えないが、確実に照度を失っていく光景からそれが確実に欠けていっていることが分かる。
だんだんと暗くなっていくに従い、周囲のざわつく声が多くなっていく。
そして、程なくして辺りがすっかり闇になった頃…――

「只今皆既日食になりました!」

どこからかそんな声がした。
同時に拍手が湧き上がる。

本当に、わずかな先ですら見えない暗闇。
かつて祟りだと恐れられていた事も頷ける。
光の存在の大きさに改めて気付かされた。
自分の存在すら分からないような闇の中、太陽を失ったせいか温度の下がった空気に恐怖にも似たものを感じて、辰伶は無意識に身体を震わせた。

「辰伶」

ふいに隣から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
だが声の方を見ても、ほたるの姿は見えない。
再び不安が胸に広がりかけた時。

「大丈夫だよ、俺はここにいるよ」

温かい腕が身体を包み込んだ。
しっかりと受け止めてくれる熱が肌を通して浸みこんでゆく。

「ほ…たる?」
「ここにいるから。お前は何も怖がらなくていいんだよ」
「…あぁ」

力の込められた腕にそっと手を添える。
もう片方の手を伸ばして探るようにほたるの頬に触れると、同じようにほたるの掌が辰伶の頬に触れてきた。

6分間の昼に訪れた夜の中で、二人の唇が静かに重なった。
例え視覚に捉えることは出来なくても確かにそこにいる存在が伝わってくる。
この温もりがある限り、怖いものなどない。
辰伶の心から恐怖が昇華していった。

その時、再び吹き付けた冷たい風が辰伶の銀色の横髪を揺らした。
だが、その風に身体を震わせることはもうなかった。


fin.
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