Guernica.

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バシャン!
大量の水が床にぶちまけられた音。
次いで少女特有の甲高い笑い声が、人気のない中庭に響いていた。

「ホグワーツはあんたみたいな穢れた血が来るとこじゃないのよ!」
「今からでもマグルの学校に転校すればぁ?」
「正直、あなたって目障りなのよね」

おっと、これは巻き込まれると厄介なイベントに違いない。
即座に目くらましの呪文を自分にかけて、音を立てないようにそうっと様子を伺う。
クリスマス前はスリザリン(セブルスくん)にグリフィンドール(シリウスくんとジェームズくん)がちょっかいを出していたが、今回は違うようだ。
スリザリン寮で何度か見た事のある顔ぶれ。
確か2つか3つ学年が上の彼女達は、1人のグリフィンドール生を取り囲み、容赦なく罵詈雑言を浴びせていた。

「わ、私も魔女よ…あなた達と同じ…!なのに、なんでこんなひどいことをするの…っ」
「私たちがあなたと一緒?純血の魔法族と、穢れた血が?…馬鹿にしてる?」
「やだ、まさか魔法族の品位を下げてる自覚がないなんて!」
「せいぜい例のあの人に家族を殺されないように気をつけることね」

嘲りの笑みを浮かべて立ち去るスリザリン生達は、姿を消した私の横を楽しげに通り過ぎていった。
残されたのは目に涙を浮かべたグリフィンドールの女の子だけ。
おそらく水をかけられた時に落としてしまったのか、泥だらけになった教科書がゴミのように散乱していた。

一連の流れを見て思ったことは“純血主義怖い”の一言に尽きる。
まあ、いじめなんて大した理由もなく起きるものだし、マグル生まれであることは、ただのきっかけに過ぎないのかもしれないが。
さて、見つからないうちに私も立ち去ろう。
ヴォルデモートさんは忙しい人だから、対立しなければあなたの家族を殺したりはしないよ、と心の中で慰めて女の子を見る。

濃い赤毛に、エメラルドのような美しい緑の瞳。
水に濡れたことでインクが滲んでしまってはいるが、教科書に書かれている“Lily Evans”という名前。
なんと。
虐められていたのは、セブルスくんの想い人でもあるグリフィンドールの美少女だったようだ。

「あっ…!」

散らばった本を拾おうとしたのか、泥水でぬかるんだ地面に足を取られてリリーちゃんが転ぶ。
べしゃり、茶色い飛沫を上げて倒れる体。
豊かで綺麗な赤毛も、今はこれ以上ないほど汚れきっていて見るに堪えない。
事実、リリーちゃんはなかなか起き上がろうとせず、泥水に浸かったまま呆然としている様子だった。

「…どうかしましたか?」

ここで私が手を差し伸べたのは、ただの気まぐれだった。
ヴォルデモートさんには損にも得にもならないと判断した上で、この後は特に用もなかったからで、自分よりもうんと年下の子供が受けるにはあまりに惨めな仕打ちだと同情したからかもしれない。
もちろん、放っておいても良心はちっとも痛まなかっただろうけれど。
わざわざ目くらまし呪文を解除して、少し手前からわざと足音を立てて近寄る。
さも“事情はよく分かりませんが今通りかかりました”といった風を装い、リリーちゃんが立ち上がるのを手伝った。

「え…あの…」
「転んじゃったんですか?あぁ、教科書が大変なことに…アクシオ、テルジオ」

杖を振って呪文を唱えると泥にまみれた教科書が1冊残らず私の手元に集まる。
ついでに清めてあげれば汚れは綺麗に落ちた。
ぽかんとしたリリーちゃんに手渡そうとして…彼女自身も泥だらけだった事に気付く。
もう一度、今度はリリーちゃんに杖を向ける。
やっと状況が把握出来たのか、一瞬彼女の身体が強ばったのが分かった。

「テルジオ。…はい、今度は足元に気をつけてくださいね」

先程まで散々スリザリン生に虐められていたからだろう。
リリーちゃんが同じスリザリン生である私を警戒したのは、仕方の無いことだと思う。
まあ、私ならこんな無益な嫌がらせなんて、よっぽどの理由がなければ頼まれてもやらないが。
気が付かなかったフリをして彼女を清めると、今度こそこの場を離れようとリリーちゃんに背を向けた。
誰かに見られて“スリザリンのくせにグリフィンドールを庇っていた”とか“杖を向けていた”なんて言われては面倒だし。

ところで、日本には『風が吹けば桶屋が儲かる』ということわざがある。
一見なんの関わりもなさそうな事象が、巡り巡って思いもよらない結果をもたらすという意味であるが、

「…リリーが、最近よくお前のことを聞きたがるんだ。…一体何があったんだ?」

後日、訝しげなセブルスくんが私にそう言っただけでなく、

「やあ、***!入学以来だね!君ってばスリザリンに組み分けされるから正直ちょっと近寄り難かったんだけど、最近事あるごとにリリーが“貴方達も***さんを見習えば!?”って言うんだよね。いつの間にリリーと仲良くなったんだい?」

ジェームズ・ポッターが悪戯仕掛け人と共に、気安く話しかけてくるようになるとは思ってもみなかった。
同じスリザリンでもあるセブルスくんはともかく、正直彼らと馴れ合う気は一切ない。
悪戯仕掛け人の中でも、ジェームズくんとシリウスくんは良い意味でも悪い意味でもとにかく目立つ。
仲良しアピールをして同学年の中で浮くようなことにはなりたくないのに。
それでも、邪険にしてセブルスくんの二の舞になることも避けたくて。

「確かに私はスリザリンに組み分けされましたが、スリザリンの中にも素敵な人は沢山いますよ。スリザリンだからグリフィンドールと仲良くできないなんてこともないはずです」

にっこり微笑んで心にもない言葉をかける以外に道はなかった。

「さすが、優等生は言うことが違うなぁ」
「俺はスリザリンの純血主義共とは仲良く出来る気がしないね」

吐き捨てるように言うシリウスくんだが、それは純血主義に言わせてみたらマグル出の魔法使いを認めない事と同じだと思うのだけれど。
空気の読める私は肯定も否定もせず黙っておいた。

「そうそう、***は彼らとは初対面だよね?」

ジェームズくんが体を横にずらした先にいたのは残りの悪戯仕掛け人の二人。
どちらもあどけなさの残る少年だった。
彼らはシリウスくんに引っ張られるような形で私の前に現れる。
女の子と話し慣れていないのか、急にそわそわと落ち着きがなくなった二人だったが、少し躊躇った後に鳶色の髪を持つ傷だらけな少年の方が、包帯の見え隠れする手をこちらに差し出した。

「はじめまして、僕は…」
「リーマス・ルーピンくんと、ピーター・ペティグリューくんですよね?あなた達はとっても有名なので、もちろん知ってますよ」

まあ、悪戯仕掛け人として有名なだけであって、単品だとジェームズくんやシリウスくん程目立ちはしないが。
リーマスくんと握手を交わしながら、そういえば彼は組み分けの時にダンブルドアに一礼していたことを思い出した。
見た目だけで言えば大人しそうな、柔和な雰囲気を纏った男の子。
破天荒なことをしでかすというタイプには見えないし、こんなに怪我を作ってくるようなやんちゃさを秘めているとは思えない。
リリーちゃんのように陰でいじめられているわけでもなさそうだ。
だけど私は、日に焼けた様子のない色白の肌には馴染みがある。
愛する彼を筆頭に、日中に出歩かない、もしくは出歩けない理由のある人達に心当たりがありすぎた。

「ぼ、僕の名前まで知ってたなんて…」

ジェームズくんやシリウスくんのようなカリスマ性は皆無。
リーマスくんよりも目立たないピーターくんは、見るからに自分に自信が無さそうな男の子だった。
同じように握手を交わすも、緊張からか掌はしっとりと汗ばんでいた。

「ピーターくんは悪戯仕掛け人だからというよりも、組み分けが難航してたので覚えていました」
「確かにあれは長かった!」

今でこそグリフィンドールの制服に身を包んでいる彼だが、組み分け帽子は結論を出すまでに悩みに悩んでいた。
私というイレギュラーな人間ですら、かかった時間はせいぜい2〜3分だったのに、5分以上もうんうん唸っていたのだから相当だろう。
勇猛果敢な騎士道精神を重んじる寮。
グリフィンドールとは別に、果たして彼のどんな素質が組み分け帽子を悩ませたのか…。

「私は***・モルダバイト。見ての通り日本人です。どうぞよろしくお願いしますね」

ジェームズくんやシリウスくんよりも面白そうな二人に、ぎゅっと繋いだ手に力を込めた。





Butterfly effect.





「***さん!」

変身術の教室へ向かう途中、聞き覚えのある声に後ろから名指しで呼び止められた。
少し先を歩いていた友人が私よりも先に振り返り、途端に顔を顰める。
同室の彼女は純血主義であり、マグル生まれを嫌っている。
またグリフィンドールに対抗意識もあるらしく、ともすれば視線の先にいるリリーちゃんを見て冷ややかな目になるのは明らかだった。

「あの、この間はありがとう!」

非友好的な視線にも負けず、律儀に感謝を伝えてきたリリーちゃんは同性から見ても文句無しに愛らしい。
だからこそ、女の子はリリーちゃんの粗探しをして、どう頑張っても覆らない事実を振りかざし傷付けようとするのだろう。
嫉妬心と劣等感と、ほんの少しの羨望から。

「どういたしまして」

マドンナリリー。
今はただ美しい花。
笑顔を返しながら、どうしてか心がざわついた。
彼女の存在が、私に、そして彼にとって疎ましいものでないことを願う。


(百合に引き寄せられた蝶の羽ばたきが、いつかどこかで世界を変える。)


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