翻訳の5題
□lost in translation
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ティエリアが廊下を曲がると、向こうに春が歩いているのが見えた。
・・・・・・・・・・・・正確には春ではないが、『春のような』少女。彼女は二つに結わえた髪を揺らして進んでいた。
「ミレイナ」
ティエリアはミレイナに声を掛ける。
特に用事は無いが、少しの間でもその元気な声を聞きたかった。
ミレイナが振り返ってティエリアの姿を確認すると、瞬く間に笑顔になる。
まるで花が咲くように。
「アーデさん!何か用ですか?」
「・・・用が無くてはいけないか?」
「いけなくなんかないです!」
そう言うと彼女はぶんぶんと首を左右に振った。その表情はどことなく嬉しそうだ。
すると、ティエリアはミレイナを見つめたまま黙りこくってしまった。言葉が出ない。
何故か、ミレイナの笑顔を見ると痛いくらい胸が苦しくなる。
実を言うといつもの事なのだが、なぜそうなってしまうのか皆目見当もつかないのだ。
だが、それは居心地の悪いものではない。むしろ心地よい位。
そしてそれを言語として読み解こうとしても、見合う言葉も見当たらない。
「・・・・・・アーデさん?」
黙り込んだティエリアを不思議そうにミレイナの瞳が見つめてきた。
真紅の中に映る薄紫の宝石は、どこまでも澄みきっていて綺麗だった。
「よくわからないな」
今の自分の気持ちをティエリアが呟くと、ミレイナは小さく笑った。
「ミレイナも、よくわかんないです」
人は、それを恋と呼ぶのです。