洋画アメコミSS

□冷水
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1964〜65年、コンビ結成あたり

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 初めて乗ったアーチーの中であっさりと暗視ゴーグルを外したナイトオウルに、ロールシャッハは警戒を強めた。暗闇でどうやって相手を識別しているのか、と訊ねたのはロールシャッハの方だったが、試してみるかい、と無造作にゴーグルを外して差し出してきたのはナイトオウルの方だ。
 自警活動をするにあたって最も注意を払うべきは、自らの素性を明かさないことである。個人を特定されるとプライベートでの人間関係を利用されてしまう恐れがあるし、マスクとコスチュームの威力が失墜してしまう。ロールシャッハにとって前者は問題にならないにしても、素顔を晒したヒーローが犯罪者どもの目にどう映るかなど、想像に難くない。匿名性のからくりがばれてしまえば、自分たちは間抜けな格好をした、ただのコスプレ野郎に成り下がる。
「……初対面の相手に簡単に素顔を晒すな」
 ゴーグルを外したナイトオウルの青い瞳が、あまりにまっすぐ自分を捉えるのに内心たじろぎながら、ロールシャッハは苦言を呈した。ナイトオウルは特に気にしたふうでもなく、オウルシップの操縦ボタンをいじりながら答える。
「僕だって、誰彼かまわず素顔を晒したりはしないよ。それに、誰彼かまわずアーチーに乗せたりもしない」
「……初対面の俺に早々にそんな決断を下すのは、浅はかとしか言いようがないな」
「ふふ、手厳しいね」
 握っていた操縦桿から手を離して立ち上がったナイトオウルに、ロールシャッハはぎょっとして声をあげる。
「おい!操縦しろ!」
「大丈夫。自動操縦に設定してある」
 ナイトオウルは助手席に座るロールシャッハの横をすり抜けて、アーチーの後方へと歩いていく。飛行艇の中は意外と広く、手足を伸ばしてくつろぐことも、簡易ベッドで仮眠をとることもできるようになっていた。水や缶詰などの食料も積んであり、緊急時にはシェルターとして機能するようだ。

 ロールシャッハは助手席から腰を浮かせて、窓の外のニューヨークの夜景を眺めた。ちょうど、フクロウの顔のふたつの目玉にあたる部分が、操縦席と助手席の前面の窓になっていて、その大きな丸窓からは前方だけでなく眼下に広がる街並みまでもが見渡せた。
 ここ数年、彼が心から美しいと感じたものは、マスクの材料となった白と黒の不思議な模様を描く生地ただひとつだったのだが、オウルシップから見下ろす今夜の街は悪くなかった。なんとなく、この夜のことは何年か後になっても、折に触れて思い起こすことがあるのではないかと思われたほどに。
 華やかな通りを外れた路地裏に立つ売春婦も、通行人をナイフで脅して金品を奪う輩も、麻薬で正気を失った濁った目をした労働者も、摩天楼の上空を飛行するアーチーからは見えなかった。ただただ、色とりどりに瞬く光たちがロールシャッハの目を楽しませた。

「……コーヒーでよかったかな?」
 いつの間にか背後に立っていたナイトオウルに声をかけられ、ロールシャッハはぎくりとする。差し出されたインスタントコーヒーのカップは受け取らず、包装紙で包まれた角砂糖だけを手にした。
「……カフェインは摂らない。刺激物だ」
 そう言うとロールシャッハはマスクを鼻までずり上げ、包みを剥いだ角砂糖を口の中に放り込んだ。ガリガリと砂糖を噛み砕く様子をナイトオウルは目を丸くして見ている。
「……甘いものが好きなの?」
「味はどうでもいい。糖分が摂れるし、手軽だからだ」
 実際、ロールシャッハにとっての食事とは、生きるために必要な栄養を摂取する、ということ以上の意味を持っていなかった。何を食べても砂のように味気なく感じられ、自然、手軽さだけを求めるようになっていたのである。
 ロールシャッハの反応に、困ったように眉尻を下げた男は、人の良さそうな顔をしていた。しっかりした顎は力強さを、まっすぐな鼻筋は上品さを、優しい目の奥に宿る光は意思の強さをそれぞれ感じさせ、総じて人好きのする若者の顔を形作っている。
(……若い)
 そうだ、若い。ゴーグルを外したナイトオウルは、暗闇で見たときよりも威圧感がなく、ロールシャッハよりもずいぶん年下に思えた。
「……お前、年はいくつだ」
「……19、だけど、ヒーローとしては僕の方が先輩だよ」
 自分が若いことを気にしている素振りも、ナイトオウルの若さを物語っていた。年を聞き返されるかと身構えていたが、遠慮したつもりなのか、ナイトオウルはそれ以上何も言わなかった。代わりに、もっと不躾な言葉が返ってきてロールシャッハは総毛立つ。
「君は赤毛なんだね」
「―――っ、悪いか!」
「まさか」
 肩を竦めて否定するナイトオウルに悪気はないのだろうが、ずり上げたマスクの耳元からのぞく地毛を、にこにこしながら眺められるのは気分が悪かった。
 一方でナイトオウルは、警戒深い染みマスクのヒーローが、意外にもあっさりと素肌を露出させたのに内心驚いていた。ロールシャッハは真夏でもトレンチコートと長ズボンで、首元にはスカーフ、彼のトレードマークでもある白と黒のマスクは顔全体を覆っていて、全身に隙がない。その衣装は彼自身を隠す鎧のようでもあった。ナイトオウルにしてみれば、ヒーローをやるからには多少なりとも自分の見た目だとか、大衆うけだとかを気にしそうなものなのだが、彼にはそれが微塵も感じられなかった。

 年若い青年が初代ナイトオウル、ホリス・メイソンから名前を引き継ぎ、フクロウの衣装とともにヒーローデビューした経緯には、若さに裏打ちされた正義感だけではなく、「ヒーロー」という存在に対する憧れが多分にあった。
 二年前、特に不自由なく暮らしていた17歳の青年は、父親の残した莫大な遺産を使って、ヒーローとしての新たな生を得たのだった。彼が求めたのは、両親に先立たれた寂しさを癒すに足る、スリルだ。刺激を求める若い心に、両親の教育の賜である正義感が相まって、ひとりのヒーローが誕生した。

 今ここにいる、ロールシャッハはどうなのだろう。
 ナイトオウルは落ち着かない様子でマスクを戻すロールシャッハを見ながら、お世辞にも民衆の憧れとは言い難い、小柄で不気味なヒーローの生い立ちを思った。見たところ名声や賞賛には興味がなさそうである彼は、なぜヒーローになったのか。
 絶えず変化する白と黒の模様からは、ロールシャッハの感情は読み取りづらかった。
「……ところで、アーチーの乗り心地はどうだい?」
 元通りにマスクを被り直したロールシャッハを少し残念に思いながら、助手席から腰を浮かせたままの彼に声をかけた。ロールシャッハは、もう一度丸窓を覗き込んで「ふーむ…」と唸る。
「……この街の夜景は悪くない。だが、こうも高いところから見下ろすばかりだと、肝心なものを見落とすぞ」
「それは…何かの暗喩?」
「別に、ただの感想だ―――この船の乗り心地は悪くない、が、もう結構。1ブロック先のビルの屋上に降ろしてくれ」
「良ければ、君の家の近くまで送るけど?あ、自宅を詮索するつもりはないから安心して」
「必要ない、降ろせ」
「……分かった」
 青年が寂しそうに眉をひそめるのを見て、ロールシャッハの胸が少し痛んだ。ナイトオウルを信用していないわけではなく、そもそも人間というものを信じていないロールシャッハは、相手を突き放すような言い方しか知らないのだ。
 しかし、自分の言動が相手を傷つけたのではないかと心配し、心を痛めるというような感情の動きは、長らくロールシャッハから失われていたものであり、久しく忘れていた他者からの反応、視線、評価といったものや、それを気にする自分が存在しているという事実は、少なからずロールシャッハを戸惑わせた。彼はそれを、自分の意思の軟弱化と捉えた。
 この男と深く関わってはならない、関われば関わるほど自分は弱い人間になる。
 彼の心は初対面にしてすでに、ナイトオウルの存在に無意識の警鐘を鳴らしていた。

  *

 ナイトオウルと関わることを恐れるロールシャッハの心とは裏腹に、その後も何度か、事件現場や犯罪捜査の聞き込みの最中に、二人は顔を合わせることになった。
 五度目に顔を合わせたとき、ナイトオウルはロールシャッハにコンビを組まないかと持ちかけた。頑なに拒むべきところを、同じ事件を手がけていたこともあって、コンビで協力関係を築くことの有用性をさすがのロールシャッハも認めざるを得なくなった。
 1965年、出会ってから約一年ののち、ロールシャッハとナイトオウルはコンビを組み、協力して事件に当たるようになる。どちらも当時を思い返すたびに、あの頃はまさにゴールデンエイジだった、と口を揃えて語る、そんな時代だった。


―――

END

   

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