洋画アメコミSS

□氷解
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1964年
デビューして間もないロル(24歳)と、ヒーローとしては先輩の年下オウル(19歳)

―――

 その日【ロールシャッハ】ことウォルター・コバックスは、とある組織の麻薬の闇取引を調査していて、港の倉庫に辿り着いた。月のない夜の港は暗く、ぽつりと立つ街灯が時おり明滅して、余計に陰気を誘っている。のたりとした鈍色の海は重油を連想させた。

 忍び込んだ倉庫には、磯の香よりも垂れこめた排ガスと油の臭気が充満していた。そしてまさに今、ロールシャッハの眼前では、明らかにアングラな雰囲気を纏った男たちが、反吐が出るようなやりとりを交わしていたのである。
 数は十数人、戦って倒せない人数ではなかったが、当時駆け出しのクライムバスターだったロールシャッハは些か緊張した。武器らしい武器を持たない彼は、しかし冷静に、状況の把握に努めていた。敵の配置、鉄骨の梁の高さ、柱の位置、窓の数と出入口の場所……それらを素早く確認して、頭の中で作戦を組み立てる。
 ロールシャッハが物陰からタイミングを計っていたときだった。
 薄暗い倉庫内に窓から一条の強い光が射し込んだかと思うと、次の瞬間には何も見えなくなった。
 何者かが明かりを落としたのだ。
 ロールシャッハはとっさに身を固くした。

 窓ガラスが割れる音。
 暗闇の中で男たちがあわてふためく声がする。そして、静かな気配が嵐のように通りすぎたあと、その怒声は呻きに変わり、すぐに静寂へと落ち着いた。
 ロールシャッハは何が起きたのか理解できずにいたが、暗闇を自在に動きまわるその相手は、自分の存在にも気付いているに違いない。
 全身の毛を逆立てるような気持ちで、暗闇に目を凝らす。次の瞬間、背後に気配を感じて不用意に突き出してしまった拳を、相手にあっさりと掴まれた。
 しまった、と暴れようとするロールシャッハの両腕を拘束しながら、相手は「待って待って」と制止の声をあげた。
「……?」
 攻撃してくる気配のない相手に、ロールシャッハは首を傾げる。
「君は……【ロールシャッハ】?」
 静かな声をすぐ近くで感じて、ロールシャッハは震え上がった。ようやく暗闇に慣れてきた目を走らせると、そこにあるのは大柄な、おそらくは男の輪郭である。
 殴らないでね、と断りをしてから、拘束が解放された。ロールシャッハはすぐに飛び退いて相手と距離をとる。
「……驚かせてごめんよ。待って、今明かりをつけるから」
 穏やかな声にロールシャッハが戸惑っていると、建物の外からゴウンという機械音が響き、パッと閃光が走った。
 暗闇に慣れた目が一瞬眩む。状況を把握しようと薄目を開けたロールシャッハは、割れた窓の外に浮かぶ巨大な球体から照射される光を見た。

 深淵を覗き込む、二つの目玉のようだった。
 新聞で見たことがある。フクロウの顔をイメージしたデザイン、ニューヨークの空に溶け込むよう飛行船を模したフォルム。飛行し、時には潜水し、操縦桿を握るヒーローをサポートする飛行艇、【オウルシップ】。
 ロールシャッハは視線を移して目の前にいる長身の男を観察し、彼の身体ごしに、密売組織の面々がのされて地面に転がっているのを見た。
「お前は……【ナイトオウル】か?」
「二代目だけどね」
 彼の衣装の中で唯一素肌を覗かせる口元が、優しく弧を描く。
 ロールシャッハは動揺した。かつて、彼にそのような微笑みを向けた人間はいなかった。

 フクロウのコスチュームを着たその男は、彼の船とともに幾度となく新聞に登場している、【二代目ナイトオウル】、初代の引退ののち颯爽とその名を引き継ぎ、いかにもヒーローらしいハイテク機器とともに瞬く間に世間に名を知らしめた男だ。
 ロールシャッハとしての活動を始める以前から、ウォルターもその名をよく耳にしていた。小柄で醜く、不気味だと畏れられるロールシャッハとは対照的に、ナイトオウルはまさしく「ヒーロー」そのものであった。快活な正義感に溢れ、肉体は逞しく、素顔の覗く唇は肉厚で人のよさが滲み出ている。
 今、目の前にいる男は、世間の期待を決して裏切らない勇姿をしていた。

「君も【ビッグフィギュア】のギャング団を追ってるのかい?」
 ナイトオウルはそう言いながらマントを翻し、腰に巻いたベルトから伸縮するロープを取り出して、地面に転がる男どもを手際よく縛り上げていった。その鮮やかな手並みにロールシャッハは感心する。
「ナイトオウル……この取引を追っていたのは俺だ…余計なことをするな」
「別に君を手助けしたわけじゃない、君の活躍の場を奪ってしまったのは悪かったけど、僕もやつらを追っているんだ―――さて、これでよし、と」
 ナイトオウルは縛り上げた男たちをそれぞれ柱に括りつけると、メモ用紙を取り出してさらさらと何かを書き付けた。
「君も署名を残すかい?」
「いらん」
 噛みつくように言ったロールシャッハに肩をすくめ、ナイトオウルは手近な男の額にそのメモを貼りつけた。

『あとは手錠だけ!
   ナイトオウルU』

「僕たちじゃ、法で裁くことはできないからね。手錠が必要だ」
 ナイトオウルはロールシャッハに向き直ると、いたずらっぽく笑ってみせた。口元だけでもたっぷりとチャーミングさを漂わせる表情に、なるほど世間が騒ぐのも頷けるなと思う。
「ところで……君が最近、新聞やニュースを賑わすようになって以来、僕は君が気になっていたんだよ、ロールシャッハ」
 ナイトオウルは鳥の羽ばたきに似た音をたてて再びマントを翻し、一瞬でロールシャッハとの距離を詰めた。反射的に唸って後ずさるロールシャッハにナイトオウルは苦笑しながら、両手を軽く挙げて手のひらを見せる。
「良かったら、少し話さない?……ここはじきに警察がくる。アーチーの中で、どう?」
 断る、と言い捨てたかったが、オウルシップの中で、というのに心を動かされた。あの飛行艇の内部がどうなっているのか、ロールシャッハは興味があったし、それに乗って空を飛ぶというのも魅力的な提案だった。抗いがたい。
 それに、ナイトオウルがロールシャッハに興味を抱いていたのと同様に、ロールシャッハもまた、自分と同じ、しかし対照的な存在であるクライムバスターの彼に興味を抱いていたのである。
「……短時間ならいいぞ」
「ありがとう!―――アーチーへようこそ、ロールシャッハ」
 嬉しそうに笑う口元は無邪気で、ずいぶんと若さが残っているようだった。よもや未成年とは思わなかったが、生まれてはじめて好意の籠った「ようこそ」を受けて、ロールシャッハはマスクの下で顔をしかめた。
 好意を向けられても、返し方が分からない。未知の暖かさはロールシャッハにとっては恐怖でしかなかった。

 ともあれ、これが彼と二代目ナイトオウルとの最初の出会いだった。


―――

END

   

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