洋画アメコミSS

□Mr.Perfect
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ジャーヴィス/トニー

―――

 遠くで名前を呼ばれたような気がして、トニーは思考の渦から抜け出した。
 内へ内へと沈み込むように誘う思考から、ようやく浮かび上がった頭でハッとして目を見開いたが、そこには誰もいない。
『……Sir』
 自分を呼んだのは姿を持たない人工知能だ。
「……なんの用だ、ジャーヴィス」
 誰もいない空間に向かって話すことなどとうに慣れたはずだったが、今日はそれがひどく不確かで腹立たしいことに思われて、意図しないまでも不機嫌な声音になってしまった。
『いえ……どうやら貴方が、また良くない思考の渦に囚われていたようでしたので』
 トニーの不機嫌を彼の優秀な執事は敏感に感じ取っているはずだ。それでも、機械の声は臆さない。
「良くない思考?」
『かれこれ一時間近く、ソファで放心なさっておりました』
「…………ジャーヴィス」
『はい』
「珈琲が飲みたい」
『……深夜でも配達してくれる店を、お探ししましょうか』
「皮肉か」
『……貴方もですよ、Sir』
 身体を持たないジャーヴィスには、コーヒーを淹れて主人に運ぶことは叶わない。トニーの注文を受けて深夜にコーヒーの宅配を手配することは出来ても、それよりずっと単純で簡単であるはずのことが出来ないのだ。コーヒーを淹れるための腕を、それを運ぶための足を、彼は持っていない。
「ジャーヴィス、お前、私が良くない思考に囚われているようだと言ったな?……それは、私を心配したのか?お前が、自分で考えて、感じて、行動したのか?」
 ソファに沈み込んだまま、空間に向かって噛みついた。
『……貴方が、私をそのようにプログラミングなさいました。自ら考え、内省し、指示がなくともその場の最善となるよう行動せよ、と』
「そんなことは知っている!……私が聞きたいのは、お前のその『心配』は、お前が自発的に感じたものなのか、それとも、私がお前に、自分を案じるようプログラムした感情なのか、ということだ」
 我が手で作りあげた相手に対し、理不尽なことを言っているのは分かっていたが、もはや八つ当たりだった。
『……それは分かりかねます、Sir』
 トニーが声を荒げても、優秀な執事の返答はいつも穏やかだ。
『確かに私の感情は貴方がプログラムしてくださったものです。しかし、私が貴方を心配した、という気持ちもまた事実なのです』
 そして、いつも完璧だ。
「完璧だなジャーヴィス……完璧すぎて嫌になる」
 ジャーヴィス自身が心の底から心配した、と言えば嘘くさい。かといって、ただのプログラムです、などという返答はもっての他だ。人工知能の彼は、いつも適度にトニーを労り、適度に心配し、適度に励まし、ウィットを利かせ、適度に完璧な返答をする。
『……どう答えてもお気に召しませんか』
「そうだな」
『しかし私は、貴方を大切に思っているのです』
「どうだか」
『……Sir、八つ当たりも度を過ぎると可愛くありませんよ』
「ジャーヴィス!」
『失礼しました』
 深夜に「良くない思考」に囚われたとき、そこから救い出してくれるのは実際いつもジャーヴィスだった。常々、不特定多数の女性と浮名を流しているトニーではあるが、それは裏を返せば、特定の相手すらいないということ。
 彼の執事は、主人の微細な心の揺れに敏感だ。たとえそれが、トニー自らプログラムしたものだとしても。
 完璧な応対でもって、ジャーヴィスはいつもトニーを救ってくれる。
『……私に身体があれば良かった』
 機械の執事がつぶやいた言葉に、トニーは驚く。
「……お前でもそんなことを考えるのか」
『身体は無理でも、せめて、貴方を慰めるための腕があれば良かった、と思います……これでも実は、不器用アームが羨ましいのですよ』
「……すまない、ジャーヴィス」

 人型をとらせることは、技術的には不可能ではなかった。しかしトニーは、あえて彼に身体を与えなかった。
 彼はあまりに完璧すぎる。
 完璧に忠実で、決して裏切らず、トニーを傷つけない。ジャーヴィスの労りと慰めのうちにいれば、自分は傷つくことを知らずに済む。
 その依存が恐ろしかった。人型であったとしても、彼は人間ではない。

 それでも、頭を撫でて、優しく包み込んでくれる腕がほしいと、時々は思ってしまう。
「……すまない、ジャーヴィス」
 自らのエゴに吐き気を覚えながら、もう一度彼に謝罪した。

(本当は私も、お前に慰めてほしいよ……)

 相手には聞こえない程度の小さなつぶやきだったが、優秀な執事には、あるいは届いてしまっただろうか。
 なんにせよ、彼はトニーの唯一の家族だった。


―――

END
   

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