洋画アメコミSS

□Pattern A
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医者の婚約から221Bを出ていくまでの間の話

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 夜気で満ちた空間をほんの少し裂く程度にそっとドアを開けると、わずかな蝋燭の灯りが廊下に薄い筋を作った。細い光の隙間から、身体を滑り込ませる。普段はほとんど気にならないそのドアの閉まる音が、暗闇にやけに大げさに響いて、ああこれこそ後ろめたさの音色なのだと思う。
 いったい私は何がしたいのか。
 今さら自責したところで意味がない。
 さあ、私の、この後ろめたさを見つけてくれ。


 確信を持ちながらも祈るような気持ちで踏み入った薄暗い室内には、ドアに背を向ける格好で男が椅子に腰かけている。彼の顔は見えないが、起きている、そう確信を強めた。
「……ホームズ、どこへ行っていた」
 ぶれない彼の後ろ姿から、夜の静寂の中に低い唸りが放たれる。私の中で歓喜の鐘が鳴り響く。
 彼の口調は私を咎める色を帯びている、まさしく私が待ちわびていたものだった。
「……私の煙草をのんだな」
「質問に答えろ」
「……別に、私が夜中にどこへいこうが、君には関係ないだろうワトソン君」
 今、わざと「夜中に」を強めて言った。その意図は彼にも分かったはずだ。
「……誰に抱かれた?」
 椅子から立ち上がり、ワトソンがこちらへ歩み寄ってくる。私は彼を決して見ない。上着を脱ぎ、首に巻き付けたタイをはずし、悪びれずに振る舞う必要がある。
「ホームズ!」
 おっと。今日の彼は思ったよりも過激だ。私は彼に胸ぐらを掴まれて、壁に押し付けられる。
 ここでようやくワトソンを見る。蝋燭を背にしているので表情はよく見えなかったが、つややかな蒼い眼球の奥に燃える炎は確認した。逆に言えば、彼の表情は重要ではない、彼の目の奥さえ読み取ることができれば。
 私は彼の蒼い虹彩が大好きだ。彼の瞳が私だけを捉える瞬間が大好きだ。
 その奥に揺れる嫉妬の炎を、もう少し煽ろう。
「誰って……君以外の男だよ」
 ワトソンの蒼い炎を正面から睨み返してそう言った瞬間、背中に衝撃が走って息が詰まった。一拍遅れて、彼が私を壁に叩きつけたのだと理解する。
「……ずいぶん乱暴じゃないか、ワトソン君」
「ホームズ、君は卑怯な男だな」
「……悔しかったら抱いてくれ、ドクター」
 蝋燭の炎の揺らめきに合わせて暗闇が揺らぐ。彼と私の荒い息づかいが、互いを牽制しあう。
 私の胸元を掴んでいる手にこちらの手を添えて、色めく双眼を見つめてやれば、彼はあっさり陥落した。


 彼が私を貫いた瞬間、彼の心が悲鳴をあげたのを感じた。婚約者を裏切る背徳からだろう。
「あ、ぅ、しつ、こい、ぞっ、ワトソン!」
 彼の心は悲鳴をあげながらも、嫉妬に狂って私をいたぶることにご執心だ。
 後ろから体内のことさら敏感な部分ばかりを執拗に攻められ、しかし前には触れてもらえず、もどかしい快感に身をよじる。堪らなくなって床に腰を擦りつけたのを彼に見咎められて制止される。
「やっ、も…イかせて、くれ」
「く…誰に抱かれたか、言ってみろ、よ」
 彼の声にも余裕がない。もうひと押し。
「ひ、あっ、ぁ、そ、そんなの忘れたっ……でも、今は君に抱かれてる、よ、ワトソン、ワトソ、んっ」
 今日の相手の名前なんか覚えていない、それは本当だった。地下の賭博場で適当に見繕ってきた男だ。御法度を犯そうというのだから、互いに名乗ったかどうかも定かではない。聞いていたとしてもどうせ偽名だ。
 賭場にいる男の半分は賭事目的、残りの半分は善からぬことが目的で、後者のうちの二割が「抱いてくれる」男だ、というのが私の目算である。年格好からその相手を見つけ出すことは、私にとって難しいことではなかった。
「……ずいぶん余裕だな、何を考えてる」
「ひ、ぁっ」
 意地悪く前を掴まれて、尿道をくじられる。痛みで怯んだところを今度はやわやわと撫で擦られて、泣きたいぐらいの快感に襲われた。
「き、きみは…ほんとに、意地悪だ、な!」
「……君が今日の相手の名前を言うまで、ずっと続けるぞ」
「い、今はきみだけ、だ、ワトソン……ふ、ぁ、結婚なんて、やめてしまえ、よ」
 頼むから。
 軽口と劣情の喘ぎに紛れ込ませた本心は、しかし、ひとたび口に出してしまえば、とても身を隠してはいられない。彼だって気付いているはずだ、私は滅多に本心を口にしないが、そのぶん、嘘がとても下手なのだから。
「……ホームズ」
「あぁっ、ワトソン!」
 こんなに分かりやすい心情吐露もあるまい。
「……ホームズ、誰に、抱かれたんだ……」

 ああでも、ほら、今日も君は全部分かったうえで、私の本心を無視する。

「ワトソン、きみは、卑怯だな……」
「……どこまで分かって言っているんだ、ホームズ…」

 どこまで?全部だよ。

 確かに私はワトソンに嫉妬してもらいたくて他の男に抱かれている、それは認めよう。しかし、彼は嫉妬に狂ったふりをしながら、その実、その立場に甘んじているのだ。そんなことくらいお見通しである。
 彼は私の行為を非難する。彼は私を抱いた男に嫉妬する。しかし、それには無意識の演技が含まれていて、そう装わなければまともに私と向き合わなければならなくなることを、彼は感覚的に理解している。
 計算ずくで動く私とは対照的に、ワトソンの演技は無意識だ。だから彼を責めることなど出来ないし、そもそも私は「すべて分かった」うえで彼の嫉妬を煽っている。
 しょせん、彼にはあの婚約者を捨てることなど出来はしないのだ。しかし困ったことに、そして私にとっては幸いなことに、どうやら彼は、この私を捨てることも出来ないらしい。
 抜き差しならない状況で彼が取るべき正しい行動とは、私の計算に踊らされたふうを装って、まんまと私の罠にかかることである。
「あ、ぁ、卑怯だ、ぞ、ワトソン…」
 君は卑怯だ。私の罠に、まんまと自らかかってくれる。
 それでも、君が卑怯者になってくれなければ、私は君と別れなければならない。だから私は、すべて分かっていながら今日も君の嫉妬を煽る。罠にはまって苦悶する君を見ながら、これでいいのだとほくそ笑む。

 ああ、私は卑怯だ。

「ふ、ぁ…もっ、イ、く、あ、駄目だ、イく、あああ、ワトソンっ!」
「く、ホームズっ……中に、出すぞ」
 彼に後ろから囁かれ、散々じらされていた私はあっけなく吐精した。無性に不安を煽るような快楽の波にのまれて、私はなんて卑怯なんだと泣きながら。

 好きだ、ワトソン、出ていかないでくれ。

 そう言えたら、どんなにか楽だろう。


―――

END
    

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