洋画アメコミSS

□毒は消えるか
1ページ/1ページ

博士受け(部下研究員視点)

―――

 神経質な足取り、というのがあるのかどうかは知らないが、いかにも神経質そうな動きで、先ほどからコザック博士は実験動物の檻の前を行き来している。バインダーを抱えた左手の指がコツコツとせわしないリズムを刻み続けていることから察するに、すこぶる機嫌が悪いらしい。
 原因は明白だ。つい先ほどまで研究室にいた社長に、神経を逆撫でされていたからに違いない。

 研究の進度を確かめるため、社長は時折この地下のラボへやってくる。車椅子の彼を助けながら案内するのは、いつも決まってコザック博士の役割だ。
 いや、もしかしたら社長の頻繁なラボ訪問の目的は、研究の成果だけではないのかもしれない。今までは疑いもしなかった事柄が、つい先ほど目にしてしまった信じがたい光景のために根底から揺らぎ始めていた。


 エレベーターが開くと同時にいつも目に飛び込んでくるのは、頬の筋肉を不自然にひきつらせ、白々しいまでの笑顔を張り付けたコザック博士である。
 博士がエレベーターのボタンを押している間ににやけた顔の社長が先にラボへと降り立つ、その一瞬だけ、博士の顔から笑顔が剥がされる。しかし再び社長の視界に入るときには、すかさず頬がひきつって、くいっと口角が持ち上がるのだ。何度見ても、器用なものだと感心してしまう。
 怒るときも貶すときも、なだめすかして相手を誤魔化そうとするときも、博士の表情はころころと目まぐるしく変化する。僕や同僚の研究員なんかは、どやされたり貶されたりするのはしょっちゅうなのだが、そういえば、博士の笑顔というのはあの顔面に張り付いたやつしか知らない。

 まぁとにかく、今日も笑顔を張り付けて、博士は社長をラボに案内してきた。
 博士は新薬の開発進度やら研究の展開やらを、僕らが博士に報告した通りに、いや、若干取り繕った表現を多用しながら、社長に報告してまわる。社長は話し半分といった様子で、檻の中のキテレツな姿の実験動物に見入っている。
 薄気味悪い、と忌まわしげに吐き捨てながらも、実験台にされた哀れな動物たちを見るときの社長はどこか恍惚とした、とても下卑た顔をしている。僕は社長のこの表情が大嫌いなのだが、それは博士も同じようで、盗み見た彼の横顔には露骨に嫌悪の色が滲んでいた。
 と、ここまではいつも通り。
 博士はいつまでも嫌悪を露にするようなヘマは当然せず、すぐさまにこやかに腰を屈めて、奇怪な姿に変貌してしまった動物のゲージを社長と一緒に覗き込んだ。
 博士がその副作用について説明しようとしていたときだった。車椅子から社長の腕が伸び、ごく自然に、しかし明らかに性的なニュアンスを含んだ手つきで、その手は博士の屈めた腰を撫でたのだ。
 博士が喉の奥でヒッ、と息を詰めたのが分かった。社長の目線に合わせて屈めていた腰が、ビクリと震えて手から逃れる。
「……勘弁して下さいよ」
 力なく笑うコザック博士を見て、社長はあの下卑た笑みをみせた。あの、哀れな動物を見下ろすときの、忌まわしげに見惚れるような、どこか恍惚とした表情である……


 社長を地上まで送ったあと、猛烈な勢いで両手をこすり合わせながらコザック博士が再びエレベーターから姿を現した。
 もはや笑みは張り付いていない。屈辱と嫌悪で恐ろしいほど歪んだその顔に、思わず同僚と目配せをして顔を伏せた。
 博士は掴みかかるような勢いでエレベーター脇の台に歩み寄り、常備してあるボトルから消毒用のアルコールを両手に振りまくった。手のひらだけでは満足せず、シャツの袖を捲りあげて肘の方までアルコールをすりこんでいく。その一切が無言なので、ある種異様な剣幕だ。
「あの、ごうつくばりの、死に損ないが!」
 苦々しげに吐き出した自分の言葉にすら腹が立つ、といった様子で、博士は顔の前でぶんぶん拳を振るった。


 衝撃的だったのは社長が博士の腰を撫でたことではない、もちろんそれは信じがたい光景だったが、それよりも信じがたいのは、その光景を見た僕が勃然と興奮しているらしい、という事実だった。先ほどの行為は社長のただの悪ふざけだったのかもしれず、あれだけのことで興奮してしまった僕の方がどうかしているには違いないのだ。
 しかし、社長の下卑た手練手管で、神経質そうな彼が乱されていくさまが脳裏に浮かんでしまった。どんな会話をし、どんな表情を浮かべて、どんな痴態を晒すのか。

 苛立ちを露に動物の檻の前を行き来する、博士の足音、長い指先がバインダーを打つ硬質の音、アルコールを刷り込むときに窺えた、手首から肘にかけての骨格……


「だ、あ、あ、あ、あ!」
 今度は僕の方が、奇声を発しながら消毒液のボトルに飛び付く番だった。
 博士に倣って一心不乱にアルコールを振りかけながら、浮かんでしまった映像を打ち消そうと必死に頭をふり続けた。
「……ど、どうしたの」
「気でも狂ったか」
 同僚と博士が遠巻きにこちらを伺っているのが分かったが、今、不審げに眉をひそめる博士の顔を見てしまったら、どうしようもない深みにはまってしまいそうな気がして怖かった。


―――

END
    

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ