洋画アメコミSS

□高嶺の花
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※二人の発言がお下品です。

―――

 ガラステーブルの上に大男が仰向けに倒れている。握っていた繊細なバカラは砕けて、中身は彼が顔面からかぶってしまった。
 酒は控えろとあれほど言っているのに、懲りない男だ。頭からコニャックをかぶるなんてもったいない。まあ、殴り飛ばした自分も悪かったが、グラスと高級酒は守ってやりたかった。これで少しは頭が冷えればいいが、かえって酔いが回ってしまっただろうか、水代わりにぶっかけるにはいささかそぐわなかったかもしれない。そう思うと、なおさら高級酒が浮かばれなかった。

 図体ばかり大きく育った問題児を見下ろしながら、カトーは怒りのあまり貧血を起こしそうになるのを、なんとか堪えていた。
 眼下で唸っている部屋の主は、元来、整理整頓や秩序などといった概念からはかけ離れたところで浮遊しているようなロクデナシだったが、この部屋の惨状を招いたのは、今回ばかりはカトーの方だった。
 別に、ロクデナシの部屋に押し入ったわけではない。暴れたわけでもない。ただ一発、殴っただけである。
 ただ殴り飛ばしただけなのだが、大男が大げさに吹っ飛んでこの有り様だった。

 夜の街をうろつくようになってから此の方、ブリットの女遊びは鳴りをひそめていた。ヒーロー活動に忙しくしていたせいでもあるし、美人秘書に操を立てるという胡散臭い宣誓をしたせいでもあるだろう。
 とっかえひっかえ女を連れ込んでいたころに比べれば、どんちゃん騒ぎでブリットが物を破壊することは少なくなったし、そのぶんカトーの雑用も減った。それは良い。とても良い。
 しかし問題はその先である。

 女遊びをしなくなった反動だろうか、いや、それにしてはタチが悪すぎる。

 どうやらこのロクデナシ、この頃は何を思ったか、男である自分にモーションをかけている節があるのだ。
 今現在、眼下に伸されている理由も、その不届きな言動が原因だった。
 たとえ思いきり殴り飛ばした相手が自分の雇い主であろうとも自分には何ら落ち度はない、とカトーは胸を張って言いたい。
 このロクデナシの不届き者、酒に呑まれて盛りがついたのかは知らないが、妙な声音で「ブラックビューティー…」と耳元で囁いたかと思うと、あろうことか、カトーの尻を鷲掴みにしやがったのである。
 なぁ、殴り飛ばして当然だろう。


「ってぇな!急に何すんだよカトー!」
「そっちこそ、何のつもりだブリット。俺の作った車の名前でこの俺をクドこうとするなんて、いい度胸じゃないか、殴られたかったんだろ?」
 浴びたコニャックを拭いながら、大男がのそりと上体を起こした。見上げてくる視線が鬱陶しい。でかい図体をしているくせに、彼の緑の瞳はまるで子どものそれだ。
「だって、ブラックビューティーってお前にぴったりだ……なぁ、溜まってるんだよカトー、一発くらいいいだろ」
「もう一発殴られたいか」
「まてまてまて、早まるな」
 さすがに殺気を感じたのか、両手のひらを見せながら慌てて立ち上がろうとしたブリットの頬に、遠慮なく、もう一発打ち込んだ。
 雇い主は彼だが、彼をコントロールするのは自分でなければならない。ロクデナシに任せたところで、ロクなことにならないのは目に見えている。
 ブリットが自分のコントロール下にいる間は、驚くほど優しく、従順に、抱擁的に手綱を引いてやろう。カトーは基本的に穏やかな人間である、そうでなければロクデナシの下では働けない。

「貧相なムスコを慰めたいなら、一人でバスルームにでも籠ってろ。俺は帰る」
「お前、そういうセリフは俺のビッグマグナムを見てから言え!腰抜かせてやるぞ!」
「……分からんやつだな」
 再びガラステーブルの上に倒れ込んでいたブリットの胸ぐらを掴んで、ぐいっと引き寄せる。彼の緑色の瞳を見つめながら、至近距離まで顔を寄せた。
 男の動揺が面白いほど見てとれる。自分のエキゾチックな色香を十二分に理解したうえでの、カトーの行動だった。
 手に入れたくても触れることすら叶わない、触れたら途端に刃に変わる俺の肌を想って、せいぜいビッグマグナムとやらを啜り泣かせやがれ。

「ブリット、俺が掘る方だったら、考えてやらないこともないぜ…」
「か、カト…」
「冗談だ、本気で考えるな馬鹿」
 アホ面をぽいっと突き放して、乱れた衣服を正す。ライダースのジャケットと革手袋までをきっちりと着込み、物欲しそうに見上げてくる視線を感じながら、冷たいオーラで拒絶してやった。

 悠々と大型二輪に跨がったところで、ガレージにまで届いた悲痛な叫び声を聞いて、カトーはひそやかに口元を緩めた。大男をして、いっそ掘られるほうでも構わないとすら思案させるほどの色香をもって、嘲笑とともに高らかなエンジン音を轟かせて明け方の街に乗り出した。


―――

END

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