小説(西洋もの)

□即興曲
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   1 序文

 我々が作曲家と聞いて、真っ先に思いつく人物は誰であろうか?おそらく、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの三人のうちの誰かを答える人が多いのではなかろうか。今日現在、バッハは「音楽の父」、モーツァルトは「神童、天才」、ベートーヴェンは「楽聖」と称されている。「神童」という言葉は幼年期しか指さないが、それだけモーツァルトの登場が鮮烈であったのだろう。今回の話はそのモーツァルトにスポットライトをあてる。
 ここで、話に入る前にモーツァルトについて、少し紹介しよう。モーツァルトは幼年期から、その才能を家族に見出された。それからのモーツァルトは旅につぐ旅だった。彼の父親はおとづれる各地で有力者に子の才能を披露し、その名声を高めていった。ウィーンでは、女帝マリア・テレジアやその娘マリー・アントワネットの前で、パリではルイ十五世の前で、ロンドンではジョージ三世の前で演奏し、いずれも好評を博した。
 地祇の言葉はモーツァルトのものである。「旅をしない人は(少なくとも芸術や学問にたずさわる人たちでは)まったく哀れな人間です!凡庸な才能の人間は、旅をしようとしまいと、常に凡庸なままです。でも優れた才能の人は(僕自身にそれを認めなければ、神を冒涜するものです)いつも同じ場所にいれば、だめになります」
 僕の幼年時代からのヨーロッパ遍歴の大旅行はモーツァルトをモーツァルトたらしめたと言っても決して言い過ぎではない。広範で豪華な旅の見聞を積みながら、少年モーツァルトは行き先々の土地であらゆる種類の音楽を吸収していった。それによってこそ、十八世紀ヨーロッパ文化の精華ともいうべきモーツァルトの音楽、あらゆる地方性や民族性をこえたモーツァルトの音楽が誕生したのである。
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