Novel

□bath time
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ルキアと出会ってからというもの、以前の俺なら想像もしなかったような事が次々と日課になっていった。
これまで漫画やゲーム等の世界でしか見たことが無かった化け物退治を始めとし、ピッチングマシーンと変なラクガキ付きのボールを使った変な特訓とか、勝手に俺の部屋の押し入れに住み着いた死神様の飯の用意とか。

そして──。

「では、見張りは頼んだぞ」
「へーへー。」

家族が寝静まった深夜に、ルキアが俺ん家の風呂にコッソリ入ってる間の見張り番も、その一つだ。


【BATH TIME】


ルキアが静かにドアを閉めて脱衣所に入ったのを見届けてから、その側の壁にもたれて座り込む。そしてすぐにポケットから音楽プレーヤーを取り出しイヤホンを付け、曲を聴きながら彼女が出て来るのをジッと待つ。
これが日課になってから、今日で十日目。

正直、虚退治より何よりも、精神的にこれが一番キツい気がする。
待ってる間に音楽を聴くのは暇つぶしの目的もあるが、一番の目的は、ルキアが入浴する時に立てる音をなるべく聞かないようにする為だ。
これは、見張り番初日の失敗を踏まえてこうしてる。

はっきり言って、初日は見張りをナメていた……。
突然、「貴様の家の風呂を借りるから、見張りをしてくれ」と偉そうな態度で言ってきたルキアに、マジかよ…と思いながらも不自由な生活をさせることになった原因が自分にある手前断ることも出来ず、「仕方ねえな…」と承諾したのだが、その時はまだそこに俺を精神的に苦しめる問題が存在してる事に全く気付いてなかった。

俺を精神的に苦しめる問題──。
それは、音だ。

問題の初日。
現世のものに疎いルキアに、シャンプーやボディーソープのボトルの位置や液体の出し方、シャワーの使い方、追い焚きの仕方等々、現世の風呂の使い方を一通り教えた後、俺は静まり返った暗い廊下で見張りを始めたのだが、程なくしてルキアの服を脱ぐ音が間近で聞こえてきた瞬間に固まってしまった。
その後も、浴室のドアの開閉音や水音、あいつの「はあ…」とか「ふう…」とか言うリラックスしてらっしゃる声なんかが立て続けに聞こえてきたんで、不覚にも心音が高鳴り体が熱くなってしまった。
理由は簡単。それらの音から、嫌でもこのドアの向こう側の光景を想像してしまうからだ……。

気を逸そうと思っても、手ぶらで来た俺に、その音から確実に逃れる術はなかった。
実年齢はともかく、年頃の女子とこんな状況になるのは初めての経験なんだ。
一つの部屋で一緒に暮らす状況ももちろん相当な事だが、相手が確実に全裸の時に、壁を隔ててるとはいえ直線距離数メートルの所でずっと張り付いてなきゃいけない風呂の見張り番の方が、健全な男子高校生にとっては色々とキツい。
そんなこんなで、なんとか耐え抜いた約20分間は、その日の虚退治よりも断然キツかったのを覚えてる。
そして、次の日から音楽プレーヤーを常備するようになったのは言うまでもない。

だが、これで問題が解決することはなかった。実際は、残念ながら気休め程度にしかなってねえ。
そもそも俺がこうして忠犬さながら毎日ルキアが風呂から出てくるのを律儀に側でずっと待ってるのは、見張りの為──家族に見つからないようにする為なわけで、音量を大きくして外部の音を完全にシャットダウンするわけにいかないからだ。

普段、この時間帯に家族が起きて風呂場の方まで来ることはまず無いが、万が一ということもある。
“すげえ寝汗かいたから、またシャワー浴びようと思って…”という、万が一の時にする言い訳を反芻しながら、定期的にイヤホンを外して周囲の気配に神経を集中させるのも忘れない。
それは、漏れ無くルキアの入浴音も定期的にはっきり聞こえてきてしまうことも意味していた…。

自分に何も非はない、良かれと思ってしている事で後ろめたさを感じてしまうのは、正直不本意だ。
だけど更に不本意なのは、ルキアに………ドキドキしてしまっている事だ。
だって、顔を合わせればくだらないことですぐ喧嘩になる、遠慮も可愛気も色気も無いあの女──ルキアにだぞ?

更に言うと、当の本人は、こっちの気持ちお構い無しにいつも平然とした様子で脱衣所から出て来るのだが、それも何か気に入らない。俺はお前のことでこんなに悶々としてるのに、何でお前はそんな平然としてんだよ、と。
この、やり場のない理不尽な苛立ち、形も名前も分からない、掴み所のないフワフワした感情が襲ってくるのも、かなり不本意だ。



……それはそうと、今夜はいつもより長風呂だな、あいつ。
ぐるぐる考えてる間に、いつもの倍以上の曲数が再生されていた事に気付いた。
気になって、イヤホンを外しドアの向こう側に意識を集中させたが、ただただシーンと静まり返っているだけで、中の様子は覗えなかった。
「ルキア…?」と、思わず声をかけたものの、反応がない。

「おーいルキア、いつまで入ってんだよ?」

家族に気付かれないよう遠慮がちに出した声は、再び応答の無いまま暗い廊下に消えた。

何だ?寝てんのか?
──まさか、倒れてねえよな!?


「……悪ぃ、脱衣所に入るぞ」

まだ反応がないのを確認してから、少し躊躇いながらも脱衣所に入った。
続けて、浴室のドアの前で彼女の名前を何度か呼んだが、擦りガラス越しに見える人影に反応はなかった。

こんなにも無反応だと、急激に心配になってくる。
普段のルキアはどこからどう見ても健康な人間そのものだが、実際は、義骸という仮初めの肉体に入っている力の弱った死神なんだ。
義骸についてよく知らねえが、突然の不調で体が動かせなくなる事だって充分考えられる…。

俺は、浴室のドアに手を添えた。
自分と彼女を隔てるたった1枚のそれ、いつも軽く簡単に開けてるそれは、今はとても威圧的で重厚に見える。この先に裸体でいるはずのルキアを思うと、ドアを開けるのに葛藤があるからだ。
だけど、そんなこと言ってる場合でもない。
寝てるだけなら、それでいい。
でも、もし本当にルキアが倒れてたら──!?
手遅れになってからじゃ遅えんだよ!!!

「ルキアっ!!」

強い想いに後押しされ浴室のドアを開けると、浴槽の縁に置いた両腕の上に頭を乗せてうつぶせの状態になっているルキアの姿が目に飛び込んできた。
急いで駆け寄り、その肩を揺すりながら再び名前を呼び続ける。すると、小一時間振りに聞けた「ん〜…」という彼女の呑気な声。

はぁ……良かった……。どうやら、ただ爆睡してただけらしい。

目の前の小さな頭がゆっくり持ち上がり、しっとり濡れた髪から覗いた寝ぼけ眼と視線がぶつかった。

「………いち…ご…?」

イマイチ状況が把握出来てない様子のルキアは、パチパチと何度か瞬きをした後、その紫色の瞳をいつも以上に大きく見開いた。
完全に覚醒したようだが、やべえ…これは多分…。

「きゃああ!!貴様、何故こ…んんっ!」
「バ、バカ!騒ぐな!親父たちに見つかっちまうだろ!!」

予想通り騒ぎだしたルキアは、弾かれたように身を起こしながら両手で胸を隠した。パシャンと勢いよく跳ねて揺れる湯が、彼女の動揺を引き立てている。
俺は、そんなルキアの口を咄嗟に片手で抑え、静かにするよう促した。

普段の二人とは似つかわしくない艷っぽい状況に、お互い顔が赤い──。

だけど、今はそんなこと考えてる場合じゃねえんだ。
ルキアの無事を確認し、心配の内容が“ルキアの安否”から“家族との鉢合わせ”に戻った俺は、後ろを振り返り家の中の気配を探り始めた。
振り返ったのは、もちろん裸のルキアを直視してられないからでもあったが、今はマジでそんなこと考えてる場合じゃねえ。
もし家族にこんな現場見られたら、どんな言い訳すりゃいいんだよ…。さっきから気が休まる暇がない。

だが、幸いその心配はなかったらしく、はぁ……と本日2度目の安堵の息を漏らす。
ここで漸く、俺は腕をバシバシ叩かれてることに気付いた。

「ん〜っ!!!」
「──あ!悪い!!」

家族の気配を気にしてる間、つい、ルキアの口元を塞いでる手に力を入れてしまってたらしく、慌ててそれを引っ込めた。

「はあはあ…っ…!たわけ!!貴様、私を…はぁはぁ…窒息…っ…させる気か!!この……はぁ……変態!!」
「なっ…!いっ、言っとくけど!断じて覗きじゃねえからな!!テメーがいつまで経っても出て来ねえし何度声かけても反応ねえから、心配して様子見に来てやっただけだからな!!」

声を抑えながらそう捲し立て、もう一度「断じて覗きじゃねえからな!!!」と念を押した。
窒息云々に関する文句は甘んじて受けよう。だけど、最後の一言だけは絶対に聞き捨てならねえ!

「う…」と言葉に詰まったルキアは、気まずそうに視線を泳がすと、くるりと背を向けた。
その仕草を見て、俺も慌てて背を向けた。

「……分かった、悪かったから、早く出ていけ…!」
「テッ、テメーも早く出てこいよ!」

そして、動揺の隠しきれない捨て台詞を吐きつつ、急いでその場を後にした。
叶うなら、誰か今すぐ俺にもルキアにも記憶置換を使ってほしい。もう、それくらい恥ずかしさと居たたまれなさで一杯だ。心臓がドクドクうるさい。
定位置に戻り再びイヤホンを装着するも、案の定、音楽は頭の中を素通りするだけで、代わりにさっきのルキアの事ばかり考えてしまっている。

しっとり濡れた髪と体。
華奢な白い肩。
大きく見開かれ、揺れる瞳。
上気した頬と荒い息遣い。
両手で胸を隠そうとする仕草。
手のひらに残って消えない、柔らかい肌と唇の感触。
ばっちり見てしまった………小振りで形の良い…………胸……とか……。
ルキアは、俺の想像よりもずっと女らしい身体をしていました。現場からは以上です。

……って!アホか!落ち着け!想像よりってなんだ!これじゃ本当にただの変態だ!!あああああ!!落ち着け!!もう思い出すな思い出すな思い出すな!!こうなったら、何の罰ゲームだって感じだが、全神経を集中させて昨日学校でスベりまくってたケイゴの変顔でも思い出してやり過ごすしかない!…と思った矢先──ガチャリと脱衣所のドアが開いた。

「……まっ、待たせたな」

「……おっ、おう。本当に待ったぜ…。よく眠れましたか?朽木さん」

「……〜〜っ!」

今、この場所がお互いの顔色をハッキリ確認できない程の暗闇で良かったと心底思う。
気まずい。気恥ずかしい。どうにか平静を装ったつもりで嫌味を返せたものの、居たたまれなさも限界だ。今すぐここから立ち去りたい。

だが、その一方で、いつもと180度違う二人の新鮮な空気から離れ難く思う自分も確かにいて困っている…。
信じられないことに、一晩明けたらリセットされてしまうかもしれないのが勿体ないとも思ってしまってるんだ。

これも全部、いつも脱衣所から平然と出て来るルキアの様子が、今夜は明らかに違うせいに他ならない。
突如あられもない姿と女の子らしい反応を俺に見られてか、明らかに動揺してることが伝わってくる。
俺の嫌味に対して、何やら歯切れ悪くモゴモゴ言い訳めいたことを吐いてる間も、ずっとソワソワ落ち着かない様子だ。


「……それから…だな……、先程は………ありがとう……」

言い訳を終え、一呼吸置いた後にルキアは素直にこう呟くと、俺の横をすり抜け、トタトタと早足で2階へ戻って行った。

ふわりと漂ったあいつの甘い香りと共に残された俺は、緩む口元を手で押さえ天を仰いだ。
何なんだ、この一連の可愛い反応は…!
これは暫く自分の部屋に戻れそうにない。もう、ずっと顔に熱が集まったままだ。
おそらく今、誰にも見せられないくらい真っ赤な顔をしてるに違いないだろう。
暗くてよく見えなかったが、ルキアも同じだったろうか?

いつも感じていたやり場のない理不尽な苛立ちが、今夜は無い。
苛立つどころか、むしろ──。

いつも襲ってくる掴み所のないフワフワした感情の名前は、相変わらず分からない。
……否。その名前が鮮明に浮かび上がろうとする度、反射的に(それは違えよ!!)と強制終了させてしまう自分がいるのが、正直な話なのだけれど……。

ただ、不本意ながら自信をもって言えることが、今は一つだけある。


──音楽プレーヤーは、明日の夜もその役割を果たしてくれそうにない。



-end-


2017/03/09
(2009/01/03UP『入浴タイム』のリメイク)

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