人生の杜

□自然農
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<帰農の道>

略記

 近年、自然から隔離された巨大都市の中で埋没の危機を感ずる者を先頭にして、人々が、反射的に自然への欲求度を高め、帰農の道を探しはじめたのは当然であろう。

 だが彼らの帰農を拒否し、一場の夢物語としているものはほかでもない、人であり、土地であり、法律である。

 みんな自然を愛するという目標は同じで、ただその手段、方法がばらばらになり矛盾したということは自然というものの掌握が皮相(うわべ)であったことに原因する。

 自然を愛するのに方法はいらない。自然への道はどこまでも無為(自然のままで人の手を加えないこと)であり、無手段の手段しかない。

 やらねばならぬことはどこまでも「何もしない」だけである。(ただし、これが極めて困難であるが)とすれば手段は明確であり、目的はきわめて達しやすいことである。

 帰農を目指す人々の決心のほどを、私が疑うのはこの意味である。もし、本当に貴方が自然を愛する(自然のままで人の手を加えないこと)がゆえに帰農しようとすれば、その道はきわめて簡単に開ける。

 もし貴方が自然の皮相を愛し、農業を利用しようとしているのにすぎないのであれば、道は遠く閉ざされるだろう。帰農はきわめて困難なことになる。

 帰農を拒否する第一歩の障害物は、人である、貴方自身にあると言える。(手を加え育てようとする貴方自身にある?)
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