人生の杜

□クリスティンとクリストファー
2ページ/7ページ

もう10年近くになるかもしれない。

ある日、二人の女性が私の店にやって来た。

表情や様子から、相談か尋ね事であるのが直ぐに分かった。

『あのう、こちらに自転車を持って来たら組み立ててもらえるでしょうか?』

『私たちは世話人なんですが、今度、仁川にやって来るアメリカ人が自転車を分解して持って来るので、組み立ててくれる店を紹介して欲しいと頼まれて、探してるんです。』

ママチャリに代表されるような一般車はアメリカには無い。ましてや車体を小さく分解が不可。
その時点でおそらくはマウンテンバイク、可能性が薄くてロードバイクである。

『多分マウンテンバイクと思いますが、問題ないですよ、是非持って来てください。』

自転車屋と云えど、信じられないような頼まれ事が日々ある。

靴のかかと修理、ボストンバッグのダイヤルの解錠、単車のイスの下へのキー閉じ込め、車のキー閉じ込め、その思考回路はどうなってるんだ?と思わせるような要望が舞い込んでくる。

出来る事はやってあげる。
でも専門外なので、お代は頂戴しない。

要らないというと支払わせてくれと言ってくる。

お金をもらうと何か不具合があるとクレームになる。専門外でそんな事になると割りが合わない。

丁重に辞退すると、後日お礼にと食べ物の差し入れが必ずある。。嬉しい。

そのお二方とのやり取りを頭の隅に置きながらの数日後、はたして外人さんが箱と共にやって来た。

『コンニチハ、アー、マイバイクハ、アンド、アー。。』

こちとら、自慢じゃないが、英語でネイティブとろくな会話をした事がない。

外人さんは結構来てくれるが、皆日本語の会話がそれなりに出来るし。

後は同行してくれた日本女性を介してやり取りをした。

私の店はマウンテンバイクの販売と修理比率が高く、それなりに自信があった。

箱からバイクを取り出して、ザッと理解した上で、明日には渡せると伝えた。

その晩、店を閉めてから組み立てにかかる。

『ゲーリーフィッシャー』という、知る人ぞ知るブランドだ。

うちはこのコアなブランドを扱えるほとマニアックな店ではない。コイツはほぼ定価売りやもん。

色はレッドとホワイトのツートン。

メカも上級グレードが付いている。

〈日本で買えば、7〜8万円はするぞ。もっとかな?〉

手慣れた順序で組み立てていく。

〈アレッ?自分のバイクを組み立てるようにスムースに進むぞっ。〉

5分とかからず、さっと組み上がる。

後は調整。

〈アレッ?調整するとこないやん!〉

触っているうちに感動が始まった。

見事にメンテナンスされている。

変速精度のレベル、ブレーキの具合、車輪の振れ具合。

どう見ても一級品の仕上がり。
過去見てきた中で最高。

〈私は日々ここまでのメンテナンスをしてお客には渡していない。。。〉

航空手荷物の雑多な荷扱いを無難に通り抜けて、それは何かを私に語りかけた。

〈アメリカのブロは凄い!〉

車輪の振れ取りは完璧だった。

ブレーキは左右のシューでリムを挟んで車輪の回転を止めるが、そのシューとリムの隙間が左右等間隔でリムを回転させた時にシューとの隙間が常に一定であり続けること。

シューが歪んで取り付けられていてもいけない。

ブレーキをかけた時に『キーッ!』と音鳴りがしないようにトーイン(つま先中へ)と云ってわずかに角度をつける。

日本と違って右ブレーキレバーが後ろブレーキ、左ブレーキレバーが前ブレーキである。

日本のようにブレーキワイヤーを強制的に曲げてセッティングすると、ワイヤーのみならず、ブレーキアームにもテンションをかけてしまって、微調整が利かない。

元々ママチャリが主流で後から入ってきたスポーツバイクで事故が有ってはいけないという観点からの業界の自主規制だけど、何とも主体性の無い全体主義だこと。。

スポーツバイクは個が楽しむもの。

ともあれ、このバイクを無理に触ると折角のUSAのプロ職人の技に変調を来しかねない。

ていうか、触るとこ無いやん。

翌日彼女は現れた。
日本女性を伴って。

私は正直に話した。

アッセンブルしただけで、何もしていない。
非常に勉強になったので、逆にお金を払いたいぐらいだ。
貴女は素晴らしいショップと付き合っている。

と。

だから、お代は要らないと言った。

いくら説明しても当然のように彼女は理解しなかった。
私も貰ってあげるのが筋とは知りつつも、どうしてもそういう気が湧いてこなかった。

すったもんだのやり取りの末、3000円を戴いて、定期的にメンテナンスに来て貰うことで収拾した。

彼女は私と同じくらいの背丈で、スリムでとてもチャーミングで、かつ、かなりのシャイであるのが分かった。

おおよそイメージに出て来るようなアメリカ人ではなかった。

日本語の出来ないアメリカ人と、英語の出来ない日本人との交流が今日まで続くとは、この時には想像すらしなかった。

続く。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ