人生の杜

□病気と健康
2ページ/20ページ

○ 助けるつもりで命を奪っていないか

  現在の医療現場で行なわれていることを、みなさんはどう思われますか。
  病院だから病気の人を治しているだろう、医学は進歩しているから、いまは治らない病気もやがては治るようになるだろう――もしこう思っておられるとしたら、失礼ですがかなりお人好しの見方といわなければなりません。
  医療現場がやっていることは、そんなことではありません。患者さんに病名をつけて、ほとんど治らない治療を施し、症状は少し和らぐが副作用の恐れのある薬を出し、そしてほとんどの患者さんを治していません。
  立派に見える医療施設や装置の大半は病気探しの検査に使っているもので、病気治しとはあまり関係ないのです。それでも当事者たちは悪気でやっているわけではなく、彼らなりに精一杯のことをやっていると思っているのです。そういったことに慣れてしまったのです。
  救急の患者が病院に担ぎ込まれると、医師も看護婦も「なんとか助けよう」と必死になります。その場合にだれもがやろうとすることが、症状の安定ということです。呼吸が苦しそうなら、呼吸を整えさせようとします。しかし、これが大変な間違いだとは気づかないのです。
  呼吸が荒いということは肺が一生懸命に息をしようとしていることです。息をするのはそれが必要だからです。体のなかの酸を二酸化炭素として肺から出そうとしている。だから息を止めてはいけないのです。
  ところが息が荒いのは見た目には苦しそうに見える。そこで看護婦さんも家族も「楽にしてやりたい」と思い、酸素マスクをかぶせたりする。酸素を吸うと、当然呼吸回数が減ってくるから、体の酸が出せなくなる。体はアッという間に弱ります。
  見た目は息が穏やかになって「落ち着きましたね」などと喜んでいるのですが、実は患者さんは二度と帰らない旅に出ていこうとしているのです。
  なかには生命力の強い人がいて、酸素マスクをはねのけたりする。そうすると「暴れています」などといって、今度は鎮静剤を打つ。鎮静剤を打たれると筋肉が弛緩して、ますます息がしにくくなる。これでは助けるつもりで、逆に命を奪っているのと変わるところがありません。それでもだれも悪意はもっていない。みんな当たり前のことをしているつもりなのです。「おかげさまで静かな息をしています」「よかったですね。しばらく様子をみましょう」。いくら様子をみても、患者さんが生きようと最後にふりしぼった力を邪魔して削いでしまったのですから、よい結果か出るはずはありません。
  これはほんの一例ですが、西洋医学というのは、目に見える症状の改善にばかり意識を向けていて、病気の本質というものを見誤っている。いまのやり方を続けているかぎり、病気はほとんど治らないし、それどころか病気になる人はますます増えていくでしょう。私は医者になって20年がたちますが、現在の医療のあり方を根本的に改めることなくして、病人と医療費だけが増え続けるという事態を変えることはできないと思っています。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ