人生の杜

□フィルター
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学校教育はフィルター教育。

今もあるのか知りませんが、
小学校には道徳の授業がありました。
中学校では倫理・社会の授業がありました。

親は、義務教育として、子供を学校に行かせなければなりません。
忙しい仕事を持つ親としては、子供の面倒を国にしてもらっている側面があります。
国にしてみれば、犯罪者を生まない為の教育、真面目に働いて国家のために尽くしてくれる未来の国民を作りたいという思惑があり、親と国の利害が一致します。

学校では、「人に優しくしよう」「いじめをやめよう」「勉強を頑張ろう」「人には親切にしよう」「お年寄りを大切にしよう」「ルールを守ろう」などなど、色々と道徳を身に付けさせようと努力をしてくれます。

これは、明らかに、フィルター押し付け教育であるのが分かります。
上記のスローガンは、子供に対し、「君は優しくないから優しくすべきなんだよ」「君は人をいじめるから、いじめをやめるべきなんだよ」「君は勉強を頑張っていないから、頑張るべきなんだよ」「君は人に親切でないから、親切にすべきなんだよ」と言っているに等しい事が判ります。

相対性の世界では、「人に優しくしよう」と思うと、自分を優しくない人にしてしまいます。
優しい人は、優しくあろうとする必要がありません。
優しくあろうとすることは、自分は優しくないと言っている事になります。

貴方の事として考えてください。
「人には優しくしようね」と誰かから言われたらどんな感じがしますか?
「まるで私が優しくないみたいじゃないかっ!」と思うでしょう。

これは、大人として個人的に言われたから、反発も出来ますが、学校ではクラスや学校全体に対して、「人には優しくしよう!」とスローガンを押し付けられます。
スローガンは、遠まわしに子供に呪文のように届けられます。執拗に、何度も。
子供は素直ですから、大人である先生から直接個人的に「人には優しくしようね」と言われたら「うんっ!」て言ってしまいがちです。
直接的に言われるとブスっとする子もいますが、どても正直な子です。内心は「分かってるやいっ!」「僕は優しいよっ!」と言っているかも分かりません。

素直な子供は、フィルターのマトリックスの世界に自動的に追いやられます。
「人に優しくない人は駄目だ」と思うことになります。
すなわち、「皆から自分は優しくない人と思われていないだろうか?」と不安になります。
すなわち、不安から逃れるという理由のために、人に優しくあろうとします。
人に優しくする理由が、優しくない人に思われない為になります。
可愛い子供の心の中は、「私は優しくない」「優しくない人は駄目な人だ」「私は優しくない人に思われたくない」と不安で満たされます。
これでは、人に優しくしている時、ギクシャクして、居心地悪くなるに違いありません。

もうお分かりだと思いますが、フィルターを持った時点で、未来に、自分を被害者にし、他人を加害者にすることを約束します。
何ていう悲劇でしょう!
そして、自分に対し優しくない人がいると、人は優しくあるべきというプレッシャーで攻撃する事に疑問を抱かなくなります。
善人の罪を犯す人になります。
善人の罪とは、自分以外の人に対して、「人に優しくありなさい」と言って、「あなたはやさしくない人だ」というプレッシャーを与える事です。
善人の罪を犯す善人とは、こうあるべき論を振りかざす人です。ようするに学校と同じスローガンを掲げる人です。
善人の罪を犯す善人とは、自分にもこうあるべきと言い聞かせ、それが人生を幸せにするという信念で実際に実践している人です。
善人の罪を犯す善人とは、自分の周りの人に、「私の様に人に優しくしなさい」とプレッシャーを与える事で、周りの人に「あなたはやさしくない人だ」とレッテルを貼ってまわる人です。
善人の罪を犯す善人とは、要するに、いつも自分を被害者にし、いつも他人を加害者にし、それを実践する人です。
善人の罪を犯す善人とは、要するに、自分は優しくないと思っていながら、優しい人を演じている、心から人に優しく出来ていない人のことを言います。
是非見抜いてください。実は強弱があっても、皆がこのマトリックスの罠にはまります。
あなたの親かも分かりません。
貴方かもしれません。
メディアそのものが、善人の罪を犯す善人の代表だったら大変ですが、メディアの中で仕事している人たちの意識の集合である事を考えれば、もう手遅れですね。

学校では、スローガンを掲げて、全体教育をします。
全体教育の悲劇は、一人ひとりに同じフィルターを持たせます。
マトリックスの相対性の世界では、「優しくない人は駄目で嫌な人」と思えば、自分の目の前に「優しくない人」が顕在化されます。
周りの人全員がそう思うということは、この自分も加害者に仲間入りを強制的にされてしまいます。

皆が同じ事を思うことが、世の中にそれを顕在化させるという意味では、商売も同じです。
皆が「あそこは美味しいから、あの店に行こう」と思うだけで、あの店は繁盛し、顕在化し続けます。
皆が「あの店飽きたし、もう行かんでもええわ。」と思うだけで、あの店は衰退し、閉店の憂き目にあいます。顕在化できなくなります。
マトリックスの世界では、世の中に、集合意識の結果が反映いたします。

子供全員を「優しくない人」にし、子供全員を「優しくされない被害者」にし、子供全員を「優しくしない加害者」にしていることになります。

「いじめをやめよう」は、子供全員を「いじめる人」にし、子供全員を「いじめられる被害者」にし、子供全員を「いじめる加害者」にしている事になります。
これじゃあ、いじめはなくなるはずがありません。
いじめの問題は、根が深い理由が分かります。

長年学校で繰り返し、呪文のように身に付けさせられるフィルターは多岐に渡ります。
何という悲劇かとため息が出ます。

よく考えてみれば、この学校のスローガンは、家でもスローガンなんです。
親も学校で教育を受けて育ってきております。スローガンに疑問を感じていません。
何という悲劇かとため息が出ます。

もともと「あるがままで、愛在る人」である、子供達。
その子供達に「フィルターまみれの人になれ」と教育してきた大人たち。

善人の罪を犯す善人が、どれほど多い事でしょう。
もちろん、程度の差はありますが、家庭の主婦や、会社の上司にやたらと多いように感じますが、どうでしょう。

フィルターに蝕まれてきた日本人は、フィルターまみれの社会で、疲弊し、身も心もマックスになりました。
残業をいとわず、無理する善人が増えますよ、そりゃあ。
自殺が増えますよ、そりゃあ。
人に対して攻撃的になりますよ、そりゃあ。
人に対して、無言の攻撃をしますよ、そりゃあ。
被害者と加害者と偽善者のオンパレードになりますよ、そりゃあ。
病気が増えますよ、そりゃあ。
こんな社会になりますよ、そりゃあ。

ねえ!

それはそうと、「人には優しくしようね」って誰かに言われて、
「それじゃまるで私が優しくないみたいじゃないかっ!」と思ったあなた、すでにりっぱなマトリックスの住人なんですがお気づきになりましたか?

私は、こう思った。何故思ったの?
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