人生の杜

□相対性の世界
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この世は相対性で成り立っているようです。

明⇔暗
生⇔死
光⇔闇
好き⇔嫌い
高い⇔低い

限が無いですが、いずれも片方だけでは成り立ちません。
相対するものが無ければ、表現そのものがありません。

世の中に光が無ければ、闇だけの世界となり、そもそも光という表現も闇と言う表現も生まれません。

ミミズには目がありませんが、ミミズは目が見えるという事を知らないし知りえませんし、教えてもらっても想像できませんし、知る必要もありません。
人間が、4次元や5次元の世界を知りえないし、想像も出来ないし、別に知る必然も感じないのと同じです。

死がなければ、生き続けることになり、生という言葉も無ければ、死という言葉も必要でなくなります。
死がなければ、人は生き続けることになり、「生き続ける」と言う表現が無くても、人と言う言葉の中に、「生き続ける」と言う意味(性質)は内包される事になります。
この場合、「生き続ける」と言う表現が無い以上、内包されている事そのものも理解できないかも分かりません。

相対するもの同士の間には、相対する相手なくして関係は有りえないので、死=無という事ではありません。
無だと存在が無くなるので、存在が無くなると言うことは残された生は生き続けなければならなくなります。
死が無でなくて、死の中に存在が含まれると言う事は、死後の世界があるということになります。

強引な説明でしょうか?
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