空は、重そうな灰色の雲で覆われていた。


雨が降るかもしれない…そう思わせるような、どんよりとした天気だった。


冬を感じる冷たい風に耐えるように背を丸め、フェンスごしにグラウンドを覗く。


ついこの間まであのグラウンドで練習していたのが嘘のように、今は遠く感じる。


練習している姿をぼんやりと眺めながら、俺は自分がその中の一人だけを目で追いかけているのに気づいた。


……うわ…なんか俺、野球部のヤツに恋してる女みてぇ…。


そんなことを考えて、思わず苦笑いが浮かんだ。


まぁ…俺が目で追ってるヤツは、そういうこととはかなり縁遠そうに見えるけど。


「…なぁ、おいそこのヤツ」


「…え……あっ、榛名さん!ちわっ!!」


俺はグラウンドの隅でせっせと球拾いをしている一年に声をかけた。一年はすぐに俺のことが分かったらしく、帽子を脱ぐと思い切り大きな声で挨拶をしてきた。


……クソ…声がでけぇよ…。


しまったと思ったが、もう遅かった。


ソイツの声で一斉に俺に視線が集まった。次々と大きな挨拶が響く中、ただ一人…俺が目で追っていたヤツだけは帽子を脱ぐこともなく、冷たい視線を俺に向けた。


その視線に俺はまた頭に血がのぼりそうになり…ハッとして慌てて首を振った。


今日は…ケンカをしに来たんじゃねぇ。そう決めてきたじゃないか。


俺は自分にそう言い聞かせた。





結局、あの日以降俺は一度もタカヤと言葉を交わしていなかった。


練習に来てみても、新しく組んでいる投手の相手ばかりで俺の相手をしようともしない。


挨拶も、帽子を脱いで頭を下げる程度。ひどいときは今日のように挨拶すらしてこない。


…徹底的に避けられている状態だ。


俺が気にして練習に来てやってるというのに…いい加減キレるっつうの…。


そして…結局、今日もいつもと同じように過ぎていった。




***



「今日の練習はここまで!上がっていいぞー!」


練習終わりの声と共に、一年はグラウンド整備と用具の片付けに走っていく。


日が暮れるのもすっかり早くなり、いつの間にか辺りは薄暗くなっていた。


ぞろぞろと着替えに向かう姿を少しの間目で追って、俺はその中の一人に声をかけた。


「……タカヤ。ちょっと残れ」


「……」


「…お…おい、タカヤ。榛名さん呼んでるぞ…」


俺とタカヤの様子を交互に見て、タカヤの隣にいたヤツがそっとタカヤに囁いた。


俺は随分怖い顔で睨んでいたのかもしれない。


やがて、諦めたようにタカヤは深いため息をついた。


「…わかりましたよ」


仕方ない、という気持ちがこれ以上ないくらい伝わってくる声の調子で呟くとタカヤはゆっくりと俺へ視線を向けた。


…その目は、相変わらず冷たいままだった。




「……で、何なんスか」


ベンチに腰を下ろすと、タカヤは面倒くさそうにそう呟いた。


早く終わらせろ、とでもいうように俺へ視線を向ける。


「……この間の、ことだけどよ…」


いざ改まって話そうとすると…どう言っていいのか分からなかった。


俺はただ…あの時タカヤが泣いてるように見えて…それで…。


結局…俺は何を言うためにここに来てるんだったっけ…。


「…この間…何でしたっけ?忘れたっスね」


俺がどう言い出そうか悩んでいると、タカヤがぽつりと呟いた。


もう思い出させるな。そう言いたげな態度だった。



「…お前さ…俺と、どうしたかったわけ?」


自分でも意識してなかった。思わず…口をついて出た言葉だった。


タカヤはゆっくり視線を巡らせて、俺を見た。まるで…目を向けたらそこにたまたま俺がいた、とでもいうような…そっけない視線だった。


「…今更でしょ。別に、どうしたかったってこともないス」


「今更でもいいんだよ…言えよ。あったんだろ、何かよ…」


「しつこいな…もしかしてずっとそれ気にしてたんスか?」


「…な…ッ!」


馬鹿にするようなタカヤの言葉に、抑えていた感情が溢れてくる。


「…ッ、誰のせいだと思ってんだよ!!だいたいお前が…ッ」


「…俺が…何ですか?アンタと同じ学校行かねぇって言ったのが、ショックだったとか…」


違うスよね、と挑発めいた笑みを溢してタカヤは呟いた。


「…ッ…こ、のヤロウ…ッ!!」


タカヤの言葉に、かろうじて何とか抑えていた怒りが爆発したのを感じた。



「……ッ…!」


気づいたら、本気で殴っていた。


…しかも…左手で。


「…ッ…い、んですか…左手」


俺の拳は、思い切りタカヤの頬に命中した。


タカヤは痛みに顔を顰めつつ、頬を押さえている。

殴られるのを少しは予想していたのだろうか、勢いで倒れてもよさそうなくらい思い切り殴ったはずなのに…タカヤは先ほどまでと同じ姿勢のままでいた。


その証拠に、唇を切ったようで僅かに血が滲んでいた。


プロ目指すって、決めた日から。


ずっと、何をするにも左手には気をつけていた。


ちょっとしたことで、肩を壊してしまわないように。負担にならないように。


気にし出してから…投げること以外で、初めてこの手を本気で使ったような気がする。


どんなに頭にきても…ムカついても…気をつけていたのに…。


「……元希さん?」


タカヤの問いかけにも、俺は答えることができなかった。


俺…どうかしちまったんだろうか…。


ひょっとして…図星なんだろうか…。


「……おい、ちょっと…」


足元がぐらつく。


俺が殴られたわけでもないのに…視線が揺れて、とても立っていられなかった。


「ちょっ…元希さん、ッ!」


地面に、吸い寄せられるような感覚だった。


背中から、何かに引っ張られてるような…


タカヤの焦ったような声が、ずっと遠くから聞こえているような気がした。






「……」


瞼を開けると、最初に視界に入ってきたのは心配そうなタカヤの顔だった。


初めて見る…心配そうな、どこか泣きそうな顔。


俺が目を覚ましたのが分かると、ホッと安堵のため息を洩らすのが分かった。


あんなこと言っておいて…俺を心配しているんだろうか。


でもすぐにタカヤの表情は、いつもの呆れたような馬鹿にしたようなそれに戻っていた。


「……何してんスか…んっとに…」


「……っせぇな…」


俺はあのまま倒れたんだろうか…ゆっくり体を起こすと、後頭部に痛みが走った。


痛む頭を押さえながら、何気なく視線を後ろへ向ける。その視線の先に、タオルが敷いてあるのが見えた。


指で触ってみると、俺の体温でぬるくはなっているが濡れている。


別に…たいしたことじゃないのに…思わず、顔が緩んだ。


「……何スか」


俺が笑ったのを見て、タカヤは微かに頬を赤らめて不満そうな表情を浮かべた。


その顔は今までの怒った顔ではなくて…明らかに照れて決まり悪そうな顔に見える。


「…別に?…ガキっぽいタオルだな…と、思って」


「…なっ…!?」


冗談めかしてそう言うと、タカヤはカァッと赤くなった。


「…ッ…文句言うなら返せよ!!」


「はいはい…こんなタオル持ってたら、俺の趣味だと思われちまう」


意地悪く言いながら、タオルを取りタカヤに差し出す。それを、タカヤが受け取ろうと手を伸ばして…



気づくと、その手を強く引き寄せていた。


「……ッ…!」


「………ごめん…」


小さく…耳元に囁いた言葉。


自分でも…意識していなかった。


ただ…久しぶりにすぐ近くで感じたタカヤの声に。


タカヤの高い体温に…。


触れた瞬間に、呟いていた。


何に謝ったかなんて…分からなかった。


ただ…この手を離したくないと…傍に置いておきたいと、思った。


to be countinue...



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