優しい指つれない君
□消えないコトバ
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見間違い。
きっと見間違いだ。
…そうであってほしい。
ドアが開いた瞬間、見えた二人。
二人同時にこちらを見て、すぐにパッと離れたけれど。
オレには…抱き合っているように、見えた。
阿部が、三橋を抱き寄せて。
そんなふうに…見えたんだ。
「…っ…はぁ…」
全力で走ったせいか、息が苦しい。
うまく息を吸い込めない。
心臓が、バクバクうるさい。
二人を見ていたくなくて、一緒にいたくなくて…
気づいたら、逃げ出していた。
もしかしたら、見間違いだったかもしれないのに。
少しずつ呼吸が落ち着いてきて、オレは辺りを見回した。
どう走ってきたのか、全く覚えていない。
何も考えずに学校を飛び出してしまった。
もうそろそろ練習が始まる時間だ。
…今は阿部の顔も、三橋の顔もみたくない。
でも…何も考えずに逃げ出してしまったから、鞄を忘れてきていた。
こっそり部室に取りに行くしかない。
オレは重い足取りで学校へ戻った。
***
部室に着くと、みんなはもう練習に出ているようだった。
真っ暗な部室。人の気配はない。
オレのロッカー前に、鞄は置いてあった。
きっと花井が置いてくれたんだろう。
きぃ、と微かにドアが動く音がした。
ハッとして振り返る。
「……どこ行ってたんだよ」
「……」
そこにはいつも通りの阿部が立っていた。
本当にいつも通り…なのかは分からない。
ただ、いつものように不機嫌そうな顔に見えた。
「あー…うん、携帯忘れてきちゃってさ」
慌てて教室戻ってた、とごまかすように笑って言う。
顔がひきつってないか不安だったけれど、阿部はふぅん、とだけ呟いた。
なんとかごまかせたみたいだ。
「……」
それきり、オレと阿部は黙り込んだ。
阿部はオレが着替えるのを待っているみたいに見える。
練習に出るつもりはなかったけれど、仕方なく着替えるふりをする。
「あ、のさ…阿部、先に練習行っていいよ?怒られるでしょ」
「……別に平気だろ」
「……」
再び沈黙が降りる。
阿部の顔がうまく見れない。
沈黙が苦しくて、何か話題を探す。
…思いついた話題は、何よりも最悪だった。
「あー…さっきさぁ、暗い部室で二人何やってたの?」
聞いた瞬間、オレは自分を殴りたくなった。
そしてどこかに消えてしまいたいと思った。
よりによって一番触れたくない話題。
今一番聞きたくない話なのに…。
阿部は少しの間黙っていたけれど、やがてぽつりと呟いた。
「…別に。電気つけるほど暗くなかったから」
「えー?暗かったよ、十分」
電気つける必要がなかった。
それだけで十分じゃないか。
なのにオレの口は止まらない。
とまってくれない。
「なんかさぁー。オレ二人が抱き合ってるように見えたんだけど」
一瞬、阿部のまわりの空気が変わったような気がした。
触れてはいけないところに、触れてしまった感覚。
そんなわけないだろ。
何バカなこと言ってんだ。
そう言って笑ってほしい。
呆れた顔、してほしい。
着替えたふりなんて、もうできてなかった。
オレはロッカーに頭を突っ込んだまま、阿部の答えをじっと待った。
「……だとしたら、どうする」
「……え…」
低い、阿部の声。
肯定も、否定も、しない。
ただ静かに、オレに問いかけてきた。
思わず顔を向ける。
阿部は無表情だった。
その表情からは、何の感情も読み取れない。
ただ静かに…オレを見つめていた。
肯定して、顔を赤くしてくれるほうが、まだよかった。
どうするなんて…なんでオレに聞くんだよ。
どうしてオレに…そんなふうに聞くんだよ…
悔しい気持ち。
三橋に対する嫉妬。
色んな嫌な気持ちがこみ上げてきた。
でも口をついて出た言葉は、思っていたよりあっさりしていた。
「キモいだろー、男同士だよ?」
オレの言葉に、阿部はしばらく黙った後でフッと僅かに笑った。
「……そうだよな」
静かな口調だった。
先に行っとくな、と呟いて阿部は部室を出て行った。
たっていられなくなって、オレはその場にしゃがみ込んだ。
「…ぅ…」
涙が溢れてきた。
後から後から零れてきて、止まらない。
気持ち悪い、なんて。
言うつもりなかった。
それは…オレの阿部への気持ちも否定してしまうのに。
口に出した言葉は、もう消せない。
阿部がどう思ったかは分からないけれど…
オレ自身が傷ついたせいかもしれない。
阿部が最後に見せた笑みが、どこか寂しそうに見えたのは…。