街界編

□Ep16. Sweet nightlong
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雨音が。雨音、だけが。ああ、お願いだ。だから、そんな瞳で、







――――三年前 6月17日。





























降り続く雨の中。正気など、とうに、失って。背後から腕を掴まれ、琉刻の行動は一時的に中断される。

だが、その腕を掴む背後の人物など見向きもせず、琉刻は掴まれていない方の腕で――ぐちゃりと肉を握り潰した。


一面に広がる、紅。


それは雨に流されていくが、肉片は消えない。千切り、潰した、その肉は。


そのもう原形を留めていない肉片と、だがしかしまだその肉を弄ぼうとする琉刻。

それを見て琉刻の腕を掴んでいた、春を過ぎもうすぐ夏が訪れようとしているにも関わらず、冬物の黒いコートを着た白髪の青年は、呆れたように溜息をついた。


「まったく、どうしようもない子供ですね」


彼は言い、そして琉刻の腕を引いてその肉から引き離し、投げ置くように手を離す。

琉刻は反動に小さく呻いたが、その場から動こうとはしなかった。


白髪の男はそれを確認し、無関心に琉刻から目を離す。そして、そこに転がる肉を見る。


「確認する必要などありませんね。――紅音」


男は独り言のように呟き、そしてその名前を呼ぶ。すれば雨で、日も暮れかけた空から、一羽の鴉がすいと男の肩に下り、羽を閉じる。

だがしかし、その鴉が普通の鴉ではないと分かるのははやかった。何故ならその鴉は、漆黒の濡れ羽に――赤の瞳を持っていたからだ。

そしてその鴉は、眼前の肉を見遣る。


『……そうだね。核は無事だけど』


鴉は男よりも淡々とした声音でそう紡ぎ、そして続ける。


『伊丹 雫、堕落物に狩られ死亡。死体から核を切り離し、異界へ葬送』

「了解」


鴉の言に、男が短く頷く。男の掌から散る粒子が集まり、大鎌が出現する。


白髪の男と赤目の鴉、そして大鎌。琉刻は座り込んだままそれらを呆然と眺め、呟く。


「――…しにがみ、」


その呟きに、白髪の男は琉刻を見下ろしその手に持った鎌を琉刻を向ける。


「ええ、そうです。貴方とは初対面ですね。…貴方の血族に会ったことはありますが」

「………」


感情の見えない碧眼で見下ろす白髪の男、死神と、変わらず呆然と彼を見上げる琉刻の視線が交わる。

そして数秒の後、死神はすっと琉刻へ向けていた鎌を下ろし深く溜息を付く。


「正気ではないと思っていましたが、どうやら意識ははっきりしているようですね。ただ、頭は回っていないようですが」


焦点のあっていないその瞳を見て、死神は興味がなさそうに琉刻から目を離し、肉――雫の死体へ視線を移す。

琉刻はただ動かずに、それを眺めていた。

赤目の鴉は死神の肩から死体の側に降りる。肉片から淡い光が漏れ、そして白い、光の球――核が肉の檻から離れる。


『ん、強い未練もなし。地上に縛られることもないから、大丈夫』


鴉の視線は空に浮く核に向けられているが、言葉は死神ではなく、琉刻に向けられていた。

だが琉刻に反応はなく、死神は深く溜息を付き核に鎌を向けた。

その死神の鎌に付いている青い水晶のような装飾に、核は吸い込まれるように消えていく。


「……葬送完了」


小さく呟くような死神の声。それに伴うように、死神の手の鎌も元の粒子となって消えた。

消えた。無くなった。全てが。それを呆然と見て、理解した。



『――…琉刻、」



不意に、呼ばれる。小さな鴉が、自分とそう変わらない年齢の少年へと姿を変えた。

髪は赤。瞳は、鴉の漆黒。鴉の姿と配色が逆だが、それは間違いなく先の鴉だ。


鴉は緩慢といえるほどゆっくりと琉刻に近付く。そして座り込む琉刻の前に膝を付き、そっと、返り血に汚れた頬に掌を添える。


「紅音、」


死神が鴉へ、咎めるように呼び掛ける。だが鴉は肩越しに背後の死神を振り返り、微笑んだだけだった。

鴉――紅音は、微動だにせず虚ろな眼差しの琉刻の頬を、髪を撫で、



「俺はお前を讃えよう。お前のこの、五年間を」



そして、紅音のその言葉に息を呑み目を見開いた琉刻を、抱きしめる。



「生きてきたことを。今、お前が生きていることを、」



心から。
心から、讃えよう。
意味がないものなんかでは、けして無かったと。








「――…がんばったね」








それは、沢山の想いと、一人の人間の犠牲で生まれた、覚醒。

望まなかった、目覚め――。






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