11/30の日記

03:12
忘れ得ぬ人々。
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K藤先生のことを久しぶりに思い出してしまった。いや、ずっと心のどこかにK藤先生の存在があった。
先生と同じ資格を取って早数年。研修を受け更新が必要な資格。昨年度までは研修は全国規模のものが年数回開かれていた。そう、もしまた運命のいたずらがあれば、どこかでK藤先生と会うことがあるかもしれない。絶対にないとは言えない。研修だけじゃない。学会だってそう。

会いたい?
会いたい気持ちもあるけど、会ったら…もし会ったらどうしていいのか分からなくなりそう。でも、少しだけ会ってちゃんと資格取って仕事もしてることを伝えたい気持ちもある。伝えたらK藤先生は何と言うだろうか?

「俺は勧めないって言っただろう?」
「今何してるの?」
「結婚したのか?」

その時になってみないと分からないことだけど、きっと昔と変わらない表情を浮かべて心の奥を見透かしそうな真っ直ぐな目をするんだろうな…

対して私はどうだろうか。
凍り付いた表情?照れ隠し?平静を装う?
胸の内を語るつもりはない。苦労も努力もあったことを褒めたり労ったりしてくれることはない気がするから。

K藤先生はもう10年以上前に離婚をしているはず。人事交流を理由に県外に出たときにはもうきっと予兆があったのだろう。
一度、戻ってきた後にまた県外に出てそれっきり。今は某大学で教員をしているけど、それ以上の情報はない。

離婚しているからこそ、きっと私の指の結婚指輪に目がいくだろうし、敢えて追及しようとする気がする。
でも、私が生きているのは私の人生。何を言われようとも行方は私が決めることなのだ。


K藤先生のことは、ある名簿で名前を見つけて以来、気になってしまうようになった。
名簿には私の名前もある。旧姓がミドルネームのように併記されていたから、もし先生が私の名前を見つけていれば、きっと気づいているだろう。
気にも留めないか、何かを思い出しているか…それは分からないけれど、同じ業界にいる以上どこかでまた…はあり得ない話ではない。
もしかしたら、ちゃんと…ちゃんと話ができるようになっているかもしれない、時間薬が効いているのかもしれない。そんな、淡い期待に少し胸が疼く。


怖い。でも、会いたい。そんな思いにただ少し絆されている。



Kのこと。
少し前にKから連絡があった。Kとは一時期付き合って別れたけれど、別れてもお友達でいようとなっていた。
とは言え、敢えて距離を置いていた。
SNSでのつながりはあるものの、プライベートな情報はKに非公開にしてある。

久しぶりのメールには返信したけど、それだけ。敢えて話が盛り上がらないようにしてフェードアウト。
盛り上げる術がないわけじゃない。でも、もう過去の人になっているKとの戯れに興じる気持ちは微塵も残っていない。さらりとして、のらりくらりと逃げたのも、お互い傷付かないようにするため。
Kとはもう会わない、SNSでだけ少し付き合いがある程度の関係に留めたい。

一線を越えた者同士、忘れられないこともあるが故に距離を置くことが互いのためだと信じて、時間をかけ少しずつ離れたのだから。
それでもKの愛車と同じ車を見かけるとついナンバーを見てしまう。無意味こととわかっているのに。忘れたいわけじゃない。なのに気になるのは、まだ少しだけ嫌いになりきれていないからかもしれない。
嫌いになる必要も忘れ去る必要もないけれどそれでも、距離を置いていた間柄で居続けたい。

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